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かわいいひとたち

うれしいこと。最新詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』が映画化されます。来年春公開です。監督・脚本は「舟を編む」の石井裕也さん、主演は石橋静河さん・池松壮亮さんです。昨日ちょうどテレビで池松さんがつるべさんとお話ししていて「わ、わー」という変な声が出ました。詩集の帯にも「映画化決定」という文字が印刷されて、それもまた「わ、わー」っていう声が出ました。なんだかすごい。すごいことが起きている、こわい。うれしいよ!
最初に映画化のお話しもらった時はいったいそれはどういうこと?ってかんじでイメージできなかった。でもなんていうか、詩が解体されて、解釈されて、そして物語に変換されていくというやりかたではなくて、詩の外側に世界が広がっていく感じ。詩とともに流れていくようにして人の生活が、人生が息づく映画になりそうで、今はとてもとても完成が楽しみです。常日頃、詩の解釈は読む人によって違っていてほしいと思っていて、それはその行間に見るものが人によってきっと違うからなんだけれど、今回の映画でも、そうしたゆらぎを大切にしてもらえている気がする。なにより、詩集をきっかけにして、また別の新しい作品が生まれるなんてとんでもなく幸せなこと。
   
幼さが失われていくわけではないし、矯正されるわけでもないし、大人になってうまくなったのはコントロールだけだろうと思う。そこからはみ出てしまったり、コントロールを放棄してしまったりした人がとても愛らしいのは仕方がない。こどもだから。で、愛らしいってなんだよ、かわいいって何、それは妥協ではないの、とも思うんだけど。人がどうして人の欠点を愛おしくおもったりするのか、「かわいい」って言葉があるのか、っていうことに、ときどきそんなん「諦め」だろう、とも思う。諦めはただの意思だ、選択だ。そういうことにするってその人が決めた、それだけのことだ。
つまり私がどうしようもないひとの悪意だとかをまるごとかわいいって思った時に、どこかで「かわいいって思ってやらなきゃやってらんねえ」って気持ちがないこともないのかもしれない。でもわたしがわたしの感情や発想を因数分解してどこまでも突き詰めていった結果、まともに残る感情などゼロだし、喜怒哀楽すべて幻だったと思い知るはずで。かわいいって思うことができたならそのまま放棄したほうがいいとかおもう。私は私の感情に対してどこまで正確でいなくちゃいけないのか。で、正確に微分しまくった感情は、感情として残ってくれるんだろうか?かわいいで踏みとどまれるならそうしたいというそういう選択ができるということ。そっちのほうが私には重要で、愛はずるいし、卑怯なものだ。私は私自身の思考よりも、それをみっともないというひとの考えることのほうが多分ずっとよく理解できるし、それでもそっちにいかないのは好みの問題なだけなんだよな。目から、正しさビームを出したくない。
選択はなんだって身勝手なもので、だからこそどういう結果を出そうが、結果に関わっている時点でその感情や理屈は暴力的で、正しさだろうが愛だろうがそれは多分変わらないだろう。
   

「坂本龍馬を斬った刀」

「坂本龍馬を斬った刀」が京都に展示されているそうで、これはなんだ、すごいな、と思う。たとえば数日前に起こった殺人事件で使われた凶器が展示されるなんてまあないだろうし、いろんなところから異論が噴出するだろうし、そのあたりですっかり坂本龍馬の死は「歴史」になったんだなあ、というかんじがする。こういうのってどこまでOKなのかなあ。昭和になるともう無理かな。普通に生きてても死んでいるだろっていうぐらい昔の人ならまあいいんですかね。いいって何だよって感じなんですが、でも人の死が時間の経過によって、ただの「現象」としておおっぴらに扱えるのは人間らしいし、正直、なんか安心する。事故物件がどうとか言われるけれど、池田屋の跡地はたしかレストランになっていますよね。あそこでどれだけの人が殺されたのかな。落ち武者の霊とかはこわがるのに、歴史的事象ならありがたくもあるというこの不思議。とかいっている私もやっぱりそういうところで食事をするのは平気だろうし、刀も「へえ」という反応にしかならないだろうし、もしかして私、歴史が事実だったって信じてないんじゃないかとか心配になるよ! でもそもそも歴史を信じるのって難しいことなのかもなあ、なんて元も子もないなあ。
   
おじいさんがどういう人であるかというのは会ったことがあればわかるし、自分の知っているひとが「こういう人」と説明してくれればそれものみこめるかもしれない。でもひいおじいさん、ひいひいおじいさんがどういうひとかというのは、会ったことがない場合やっぱりわからないし、親がこうだった、って言ってくるならそれを「ふうん」と聞くしかない。信じているのか、これは? とも思う。他人じゃないのにここまで他人事みたいに話を聞くのはなんなのか。冷たいのか、淡白なのか。しかし興味津々になるほうが、「え、いったいなんで?」と私は思ってしまうのだけれどどうだろう。祖先がどういう人物であろうが、子孫がどういう人物であろうが、実は結構どうでもいいというか、なんか関係ないような気がするんだよなあ。だって知らない人なんだし。血は繋がっていますけれど、だからってそもそもその存在をどうやって信じたらいいのでしょうか。テレビでたくさんの知らない人が、血も繋がらない人が、亡くなったときくと痛ましい気持ちになる。これってもしや差別なのか? 私は現代にしかリアルを感じられないのか? 人生経験がないからなのか? 自分がゆっくりと過去になっていくような、そんな感覚にまだ飲まれていないからだろうか。
   
死ぬのは怖いし、老人になるのも怖いし、それは単純に想像がつかないから怖いのだ。身近な人が死ぬのを想像して「ひい!」って声がもれたとき、私は「命の大切さ」を実感したような気がしてしまうけれど実際は、その人が大事だというそれだけだし、坂本龍馬を殺した刀になんとも思わない時点でその感覚は怪しい。それとも龍馬が死んだのはもうしかたがないことだし、痛ましいは痛ましいけど、覆ることでもないという、そういう冷静さなんだろうか。でも、だとしたら現代の大事件にも憤らないで済ますんじゃないのかなあ。子供たちがこれからも生まれて育って、未来を創っていくのだということに優しい気持ちになる、そんな年上の人たちが私は正直怖いです。自分よりも未来を見つめるというそのことがなかなか理解できない。私は今が大事だよ。過去にこれからなっていくのだということ、自分は未来のために死んでいくのだということをハートウォーミングストーリーと受け取ることはできないし、だから龍馬殺しの刀に涙もでないし、ぞっともしない。なんかそれはおかしいんだろうな、命なのに、命、とぼんやりと考えるけれど、そもそも、私は人を人として大事には思っても命というものそのものを見たこともない、信じてもいないのかもしれないなあ。それってどういうことなんだろうなあ。なんか怖いね。視界の中の足の指をぎゅっとまるめて息を吐く。
   

私をきみの黒歴史にして。

わからなくなりたい。あのころ大好きだった映画や音楽や本が、今見るとどうしていいと思ったのかちっともわからない、みたいなことが溢れるような人生でありたい。おいしいとおもっていたファーストフードが受け入れられなくなったり、逆にあのころ大嫌いだったものが美味しいと感じられたり、そういうことの繰り返しで、細胞よりももっと明らかに私という存在は生まれ変わり続けるなんてふざけたことを思っている。今、好きだと思ったものが、そのうち大して好きじゃなくなるんだろうという予感とともに、なにかを好きになっていくのは居心地がいい。なにもかもは使い捨てだと思う。なにもかもは使い捨てでいいと思う。ときどき、昔から好きなままのなにかが現れて、「うわっ」と驚くぐらいでいい。
   
どうしてあんなに夢中になれたのかわからないと、友人が過去の映画について話していて、それはもう少し昔はもっともっと困惑に満ちた台詞だったし、確実にきみは昔の自分を軽蔑しているよねという口調だった。いつのまに受け入れたんだろうな、なんてことを観察しながら話を聞いているのが楽しい。黒歴史、という言葉は最近あまり使われなくなったけれど(単純に私の周囲の年齢が社会に染まっただけかもしれない)、黒歴史はそのうちなんだって「懐かしさ」という言葉一つで浄化されて、ちょっと退屈な見え方をするよなあと思う。好きが嫌悪になるうちは、どちらの感情も現象も刺激的で、へたにふれたら怪我をしそうなのが最高で、大して変わらない気がする。逆に、忘れてしまったり無関心になってしまうとそんな危険性がなくなるし、私はやっぱりどこか地雷のある人と喋っていたいんだな。人間が人間と会話するのは、マナー講座みたいなやりとりをするためでも、世間話で時間を埋めることでもなく、相手のよくわからないこだわりに触れて、時には怒られ、時には喜ばれ、「なんて理不尽!」と思うため。私もそういうときに「なんて理不尽!」と言われていたい。他人の感情はコントロール不可能であってほしい。
懐かしさというのは過去をフラットなものにしてしまうし、人間は過去の蓄積だから、人そのものがフラットになっていく。昔、自分の作品が誰かの黒歴史になればいいな、と思っていて、たぶんそれもこうしたことが関係するんだろう。好きでいてもらえることは嬉しくて、でもそれがずっと永遠に続け!っていう気持ちとともに、最悪な思い出になったらそれはそれですごいな、と思う。本や映画や音楽への「好き」という感情は、簡単に消費されて忘れられて「なんで好きだったんだろう」と言い放つことすら許されているから、だからこそまぶしいって思う。軽薄でいいからこそ、直感のまま「好き」って思える。他人を納得させるための根拠なんて用意もせずに、ただ「好きなのは好きだしそれの何が悪い」って言える。自分にすら一貫性がない感情を、その瞬間信じられるその強度が、その人の「自我」そのものではないの。だから、ものを作る限り、その奔放さに作品を斬りつけられたい。きみの、一番直感的で最強な部分に、さらされ殴られ続けたい。
   

オリンピックが今年も。

スポーツ。
オリンピック見ていますか。私はほとんど見ていないんですけれど、それでもやっぱり勝った負けたの話は飛び込んでくるし、すごいな、と思うことも多い。スポーツのこと、詳しいわけではないし、そもそも好きになったこともないのに、こうやって気になってしまうのはオリンピックの凄さだなと思う。
どんなに凄いと思ったって、それまで全然その苦労を知らなくって、もちろん世界大会とかの成績も知らなくって、今さっきテレビで言っていた情報を吸収して「すごいな」って思っている私の感動がどれぐらい安いのかって考えはじめたらたぶんいろんなことを思ってしまうんだろうけれど、私は小学校の時に先生が見せてくれた長野オリンピックのことを思い出して、まあ、「すごい」っていう気持ちが軽薄でもいいかって思い直す。あのとき私は体育が大嫌いで、そもそもスポーツなんて見るのも嫌いで、野球ファンもサッカーファンも家にはいなかったからから観戦する習慣はなくて、そういう中ではじまった長野オリンピックについて大して興味はなかった。冬季と夏季の違いなんてわからないしさ、応援するという行為もまだよく知らなくて、人が人を応援するってどういうことなんだろうと戸惑いもした。必死で戦ったことのない私に、その意味がわかるわけもなかった。でも、それでも、映像を見ていて「すごい」と確かに思えたこと、それはなんとなく覚えている。
    
経験していないことを想像するのはやっぱりむずかしいし、小さな頃はそうだったな、他人の痛みを想像して、それに合わせて優しくなる、ということがどうしてもできなくてまごついた。他人の痛みを想像する、というのがなんだか悪いことしているみたいでどうしても苦手だった。あの子は他の子より身長が高いからとか、あの子は他の子より運動ができないからとか、あの子は他の子よりしゃべるのがへただから、とか、そういうのいちいち気にしてそういうひとのために気を使うって、もちろん「やさしさ」としてアウトプットはされるけれど、それでも最初の「相手の痛みに注目する」っていう行為には罪悪感がある。陰口を言ってるひととなんか目線の高さが同じだなあ、なんて気にしても仕方がないことを考えてしまう。他人が他人に対して親切にしているところを見たらちゃんと尊敬するんだけれど、自分がやる場合、過程ばかりが気になっていた。誰が弱くて誰が強いっていうのを意識するのってしんどい。親切をする側はどうしても強い側になってしまうし、余計に、弱い人を探すみたいでしんどかった。
他者というのはあくまで他者で、開き直って、ある意味システム的に、「あの人は助けを求めている」って判断できるようになるのが人間としての成長ではあるだろうと思う。そもそも自分に対していい顔したって意味はないから、過程が気になろうが結果だけが全てだろ、とも言えて。でも、当時はそういったことがちゃんとわからなくて、わかったところで器用に発想を変えられるわけもない。
   
応援は、親切のあの感じによく似ているのかもしれないな、なんてちょっと思う。もっともっと遠回り、というかなんだか遠いかんじはするけど。先生にせっかくだしオリンピックの選手を応援しようって言われて、テレビを見せられた時、「え、これ、見て、どうしたらいいんですか」と正直に思ったのを覚えている。クラスメイトが応援を始めて、「がんばれ」と言いだして、なるほどそうするのか、と納得したけれど、「がんばれ」ってどういう意味の言葉なのか、それでもやっぱりふわふわしていた。家族とか知り合いならともかく、全く知らなかった選手を応援するとき、距離がすごくあるじゃないですか。本当にこれでいいのかなあ、と思ってしまう。(ちょうど見ていたのはスキージャンプで、スキージャンプという競技自体そのときに知った、というのも大きかった)私はこの選手の名前もちゃんと知らなくって、それでいてその人たちに「がんばれ」っていうのって、その人たちにとって意味あるんだろうか。そもそもスポーツを熱心にやったことがないから、応援が力になる、ということ自体を私は知らない。別に「がんばれ」って言葉に嫌悪感があったわけではないけれど、この言葉が私の血肉になって、ちゃんと消化され吐き出されたものではなかったから、そういう自分のなさみたいなのが「ふわふわ」を呼んだ。みんなが言っているから言っている、だけだ。あってるかな、って不安で、そして今は、そんなの不安で当たり前だろ、とか言いたい。
スポーツでがんばる人がどういう気持ちでいるのか、なんて想像がつくわけない。苦労とか痛みとか、そういうのを想像して、慮ることが、彼らの望みなのかはわからない。世界という舞台で生中継なんてされて、地元とか職場の人たちがメガホン持ってテレビに向かって声援を送って、小さな子供が「私もこんな選手になりたい」なんて言っているかもしれなくて、もしくはそう言われている選手の相手をしているのかもしれなくて。げえっ、っていうかこれ、書いた先からフィクションくさいですね。ストーリーくさい。あるひとりの人間の人生がこんな起承転結綺麗に整っているわけがない。どんなに情報を得たって、頭を働かせたって、結局他人のことなんて、いい感じに四捨五入したストーリーとしてしか消化できないんだなあ。
    
クラスメイトに優しくする時に「自分がそうだったらどうか考えなさい」と言われて、そのたびに相手を逆に傷付けたりして、自分との感覚のずれにがっかりしていた。切り離しなさいとは誰も言わなかったし、だから自分verを作って考えようともしたけれどやっぱり限界はちゃんとあった。そんななかで私は、最初は戸惑いつつも、なんだかんだで手放しに「すごい」なんてオリンピックを見て思っちゃって、あ、すごく楽だ、と思ったんだよな。そのとき、ちゃんと軽薄に、なれていた。自分とは違う人たち、と彼らを見つめ、自分にはどうしたって真似できない、なんて簡単に線を引いて、自分と切り離して見つめていた。そういうのがいいことかどうかっていうのは未だによくわからないけれど、それでもそれが私にとっては安心だった。「すごい」と思えたら、「がんばれ」と言うことにも慣れていって、メダルをとったころには自分のことみたいによろこんでしまった。あれって、もしかして彼らが「弱者」には見えなかったからなのかな、なんて今はちょっと思う。親切になるために弱い人を探す、というのはなんか抵抗があったけれど、強い人を探す、というのは別になんとも思わない。なんて現金。でもその可能性は大。この人たちは強いんだ、すごい、と思うたびに私は「がんばれ」って言えていた。特に知らなかったのに、関係なかったのに、テレビで見ているだけなのに、ふと気づいたら応援できていたっていうそのことは、私にとって選手がとても「頼もしく」見えたからなのかなーなんてことを思う本日ですよ。あー、暑い!
    

世界に夢中

もし十代の時にこの作品に出会っていたらどうなっていただろうと思うことは結構あって、そういうのを私はパラレル青春を増やす行為だと思っている。20代になってからテクノが好きになって、KENISHIやら石野卓球やら聴き漁ったけれど、これがもう少し前だったら、とは当時思った。ばかみたいに影響を受けただろうしだからこそ、実際に十代で受けた別の作品からの影響は失っていたかもしれない。私はBLANKEY JET CITY(どうでもいいけれど最近は予測変換のせいで「ブランキー」ってうっただけで正式名称が出てきて、べつにまちがっちゃいないからそのままにするけどなんか違和感がある。話し言葉であるのに表記が正式名称とはこれいかに。)とかはっぴいえんどとかに影響を受けて、だからこそ歌詞がすきになり言葉ってかっこいいと思うようになり、この仕事をやっているけれど、テクノに十代で直撃していたら書く仕事をしていなかったのかしら、とか思うよね。世の中には天才なんて山のようにいて、たぶんどんなにアンテナを鋭くしても全員の作品と出会って死ぬなんて不可能だから、結局自分の青春がどういう形になったのかというのは、まぐれでしかないのだろう。えーっとじゃあ、現時点でこういう人生あゆんでいるっていうのも相当な偶然によるものだろうな。私は私というものがこの世で一番不確定的だと思っている。
       
人間はスライムみたいな存在で、入れる容器がかわれば形を変えるし、だからこそその形そのものに対する評価や悪意は本人にはなんの関係もなくて、なんなら本人がそこに誇りを持つことすら意味がないんだろうと思う。青春というのは最初に入れられる容器だったのかもしれず、私はそこで一つの形を知ったけれど、でもそれは私そのものではなかった。はずだ。たしかにその容器を選んだのは自分で、その容器を引き寄せるよう行動していたのは自分だろう。でも、容器は、プラスチックかなんかで出来ていて私と同じスライムではない。十代のわたしは世界に対して図々しくて、ホントつまんないものばっかりだと思ってたし、ホントつまんないものばっかりだなと思っていたからこそ好きになれた音楽を、「これが全てだ」と信じてしまった。これ以上好きなものに出会うこともないだろうし、世界はこのままつまんなくて、この音楽だけが素晴らしいのだと思ってしまった。だからこそ、その出会いが作ってくれた容器も、「一生もの」だと思ってしまったんだ。この音楽が好きだという、そのことが私が形作るだろうと思った。そんなの、勘違いでしかないんだけれど、そしてそれは薄々わかっていたんだけれど。それでも私はそれ以外に何かを見つけられる気がしなくて、なにより、「何が好きか」という情報を交換することがコミュニケーションであるみたいにこの世界では捉えられていて、だったらもうこれでいいや、とどこか投げやりに考えていた。なにより、好きだったしね。あの盲目的な感じ、私はもはやどんなものに出会っても味わうことができないんだろう。十代の時に出会ってみたかった、と好きな作品を見つけるたびに思うのは、要するに「たったひとつ!」と信じられたのはあの時、あの瞬間で最後だったからだ。年を経れば案外、好きなものは増えるんだということに気づいてしまうし、天才もあちこちにいるんだと知ってしまう。あのときの「もうこれでいいや」というのは大間違いだったともわかる。世界にたったひとつあいた穴を見つけたような、そんなぞっとする感覚はもう、永遠に味わうことができない。
   
好きなものによって自分が作り上げられるというのは全く嘘だ。人間は人間でしかないし、他者の作品が自分の代わりに手足を動かすなんてことはない。なにより、第三者が見る「自分」が、好きなものの寄せ集めでしかないならば、私自身がそこにいる意味がまったくないともわかっていた。でも、それでもいいや、それぐらい好きだ、と思ったあの瞬間、それを否定はしたくない。あのとき、私は自分を全部賭けてしまおうと思った。けれどなにかがどうしても気持ちが悪くて、私はいつのまにか、もっとたくさんの好きなものを見つけたいと、いろんな音楽を聴き漁るようになっていた。なんにも世界に期待してなかったのに、気づくと、自分が自分であるために、世界に無限に期待するようになっていました。なにもかもつまんなかったから、自分のあり方にも「まあこれでいいや」なんて言えたのかもしれないな、と今は思う。盲目的になれて良かった。世界が思ったより複雑で、自分が思ったよりも自分のことを大切にしているんだと気づけたのは、確実に、あの時間があったから。
    

さみしくなりたい。

浅い関係でいてくださいと、願うようなこともある。共有するのは感情だとか苦労だとか不幸だとかよりも、お天気や食べたケーキがおいしいことだったり、そういう他愛もないものであってほしいと思っている。人間が複数いる限り、私たちは「私たち」にはなれなくて、たぶん永遠に個人がよりそっているだけなのだと思う。ただの群れだ。それを孤独だと思うことはなく、ただどこまでも他人でしかない存在とともにいて、他愛もないものを共有して、そのことを幸せだと信じて生きていく、そんな自分のひからびた感性をちゃんと、愛していこうと決めている。
   
先日から足がどうしてか痛くて、いたいいたいと他人に言っても仕方がないから黙っていた。仕方がないってなんなん、と言われることは結構あって、でも仕方がないじゃないですか。きみに言ってもしかたがない。ただの事実だ。他人とそういうものを共有したいと思うのは、どうしてもその人の人生に介入するようで苦手だ。他人の瞳に映るのは、私の皮膚と洋服で、たぶんそれが外の世界にとっては「すべて」であるべきだと思っている。それぐらいの浅はかさが健全だと思うし、それ以上は過剰でしかない。それに私は傲慢だから、「生きていて、一緒にご飯食べていたらそれでいいって思ってくれないかな」とも本気で思っている。足が痛いということを本当の意味で共有するなら、同じ怪我をしてもらうしかなくて、そういうことを望むエネルギーは、私にはない。
    
コミュニケーションはある程度深くなると、あとは互いのエネルギーの問題となる。もはやエゴとエゴのぶつかり合いにしかならないから。なにを知ってほしくて、なにを共有して欲しくて。そして、相手になにを、教えてほしいか。どこまで相手の沼に沈んで、相手を自分の沼に沈めて、それを楽しめるぐらいの余力を残しておけるか。私はそれがただただしんどい。私が私に対して冷たいからなのか、他人に対して冷たいからなのか。そんなこともふと考えるけれど、どうせそのどちらもだろうな、と思って終わる。みんな、ある程度は欲を持っていて、そしてそれのためにどこまでエネルギーを使えるか、というそこで個人差が出るし、それに答えられないのは互いに不幸なことだった。恋人を探すために全財産を使って世界中を飛び回る人もいれば、そういうことを冷めた目で見つめる人もいる。そこを、どちらかが妥協して合わせるなんていうのは不健全だ。私はエネルギーを使うのが億劫で、他人には優しくしたいと思うけれど、それでもそれはあくまで「親切」の領域でしかなく、他人の欲望にまで優しくする筋合いはないと、冷淡に思っている。そして、私が他人に対して放っといてほしいと思う、その欲望も他者に押し付けることはできない。だからせめて、挨拶や世間話の中ではやさしくありたいんだけどさ。私はただただ、冷たくありたい。浅くありたい。そこに正当な理由はなく、他人を説得するすべはないけれど、それが私の欲だ。他人と会話するためには、二人の内側にあるものをさらけ出していくのではなくて、そのあいだに通り過ぎていくもの。おいしいサンドイッチだとか、虹がでたことだとか、季節のこと。そういうものを同時に見ることができたならそれこそが最高なのだと思っている。友人としゃべることは、天気とか見た映画の話に終始して、いつのまにか彼女に恋人ができて、そして別れていたことを5年後に別の話題のついでに知った。他人の人生の背景になれるぐらいでちょうどよくて、そしてそれぐらいなら、同時代に生きているひとすべてと関ることができる。それは、密な関係を選ばれし誰かと結ぶことよりもずっとずっと美しく思えた。
孤独というのはどこにもなくて、孤独がどこにもないというそのことだけが私を私にしてくれている。そして他人の孤独を理解できないという点で、私は他人に対して冷たくなる。生きているということそれだけでも奇跡なんだというならば、私は私として他人からはぐれて、さみしくひとりで暮らしていたって奇跡で、なるほどそれはそのとおりだな、と思っている。
    

宇多田ヒカルのこと

私は宇多田ヒカルのことをちゃんと、一度書いておくべきだ。appleTVのSiriに「宇多田ヒカルをかけて」と伝えて、それから5分後に急にそう思った。宇多田ヒカルがデビューした時私は小学生だった。音楽なんてそんな詳しくなくて、ツタヤというシステムもまだ把握していなかった。流行を追うことにほとんど熱心ではなくて、スキー旅行だとかそういうもののときにバスでかかる音楽を聴いて、今はKinKi Kidsという人が人気なんだ、とか、SMAPという人がクラスメイトの話題になることが多いとか、そういう把握のしかたをしていく。宇多田ヒカルという人は、そんな私の子供時代に登場した。そして私が初めてアルバムを買ったアーティストだった。
   
私が書いた詩のなかに、こんな一文がある。

「宇多田ヒカルを聴いて、思い出すのが校庭の匂いなら、きみの幼少期は最高なもの。」
(詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』収録)

たぶん、ここに書くべきひとは、他のどんなアーティストでもなく宇多田ヒカルしかありえなかったんだろうな、と私は思う。彼女の歌は商店街のスピーカーにかかっていたって、大学生の一人暮らしの部屋にかかっていたって、おばあさんのラジカセからかかっていたって、馴染んでしまうなにかがあった。あのとき、あの時代。みんなそれぞれのそのときの記憶とともに彼女の歌を覚えている。それぞれの人生の一部として、それぞれ、違う形で残っている。社会現象だとか、若者の代弁だとか、そういう「共有される歌」ではなくて、聴く人それぞれの個人的な体験として彼女の歌は聴かれ、だからこそ、聴く人によってその記憶は全く違っている。だからこそ、どこかの誰かが嗅いだ校庭の匂いと、彼女の歌が直結していたってよかった。その誰かにとってはそれだけが事実なんだから。私にとっては、小学校の友達とおこづかいを出しあって行ったカラオケルームだとか、自然学校のバス。大人もたくさん、彼女の歌を聴いていただろうけれど、それは私には関係がなかった。私はまだ反抗期ではなかったし、ひとりぼっちで音楽にすがることもなかった。自分のどこかに穴があいていて、それを埋めるために必要とした音楽ではなくて、周りを彩る花みたいに、あらわれた音楽だった。まるでそういった季節が訪れたのだという、そんな必然性と共に耳にした。だからこそ私は、その時見ていた運動靴だとかランドセルとともに彼女の歌を記憶した。同じ瞬間、みんながみんな違うものとともに、彼女の歌を記憶した、というのは、なんだろう、とんでもなくポップだと思う。そのバラバラかげんが、むしろその「ポップ」の強度を示しているように思う。おもしろいよね、ポップなのに、その消費自体はだれとも共有されず、極めて個人的な形で行われる。他人がどう聞いているかなんて、どんなことはどうだってよかったし、私にとって歌を消費する上では、彼女の人生すらどうだってよかった。
   
私は彼女の歌をとても好きになったけれど、彼女に詳しくなりたいとは思わなかった。彼女はただどこかで生活をして、そして歌を作って、それを私が手に取っている。彼女の中で歌はたぶん、人生と密接しているんだろう、と思う。彼女のそのときそのときのことを歌っている。それなのに、私は彼女の人生まで歌を通じて消費したいと思わなかった。彼女の歌は、私の子供時代とどこまでもくっついていて、私にとってはどこまでも、私の人生の一部でしかなかった。彼女自身すら関係がなかったんだ。友人にどんなに親しみを感じても、友人が自ら告白しない限り、彼女に起きた不幸や幸福をわざわざ知りたいと思わないことによく似ている。変な話だけれど、友達だろうが家族だろうが、他人という存在を、自分の人生の一部分としてしか人は把握することができない。自分と対等の存在に見ることは、本当の意味ではできるわけがない。だから、利己的で身勝手な消費に彼らを晒し続けるしかなく、せめて、彼らが喜ばない形で消費することのないよう、気を配らなければならなかった。彼らが望まない限り、彼らの何かを知りたいと望むことは愛があろうが優しさがあろうが傲慢でしかない。ともに映画を見ることや、食事をすることや、そこで自分が話したいこと、相手が話したいことを、交換していく、それだけでよかったし、それが最上でなければならなかった。それ以上を望んだ瞬間、簡単に相手の尊厳を踏み潰してしまうのだということ。そんな危うさ。それは、作者の人生が染み付いた作品に触れるときにもあるとおもっていて、それでも、宇多田ヒカルの曲に対して、その背景を知りたいと思うことはなかった。彼女の歌は、たとえ実際には彼女の人生そのものであったとしても、私にとっては私の人生の一部分でしかなく、あまりにも深く深くそこに根付いているため、彼女のことすら、どうだっていい、関係ないと思えてしまっていた。
   
他人と接することは、結局人生と人生がすれ違っていくことでしかなくて、そこへの干渉はできないから、触れてきた全てを自分の人生の一部として大切に保存していくしかない。宇多田ヒカルは子供の頃の私にとって本当に離れた、遠い遠い存在で、ライブのチケットだって取れなかったし、テレビでやっている宇多田ヒカルのワイドショー的な情報もよくわからなかった。彼女の年齢をショッキングに思うような年齢じゃなかったし(私の方がはるかに年下だったから)、両親のことだって世代的に知らないし、インターナショナルスクールなんて知ったこっちゃない。それでも私の人生の一部として彼女の歌は残った。すれ違ったんだ、と思う。「歌の力」「音楽の力」みたいなものがあるのかどうかなんて知らないし、そんな大げさな物言い、好きじゃないけれど、でももし、そんなものが存在するなら、すれ違えたというそのことこそが、「歌の力」がくれた奇跡だったんだと思う。
   
   
    
このブログが10/27に本になります。(この記事も収録されます)
雑誌・新聞などに掲載のエッセイも収録。ぜひ!

 エッセイ集『きみの言い訳は最高の芸術』
  
 最果タヒにとって初のエッセイ集。
 ブログを中心に、雑誌・新聞に掲載されたエッセイも収録。