少年はすべて

たとえばもっとナイーブな人たち、
かれらには全く理解は出来ないし
腹が立つかもしれないだろうけれど
わたしは中学生のころ妙なことに
平凡であること
なによりも
不幸だとおもって絶望したことがないことが
ものすごいコンプレックスであった
大槻ケンヂが本に書いていた(多分)ような笑いの種になる不幸話なら
結構壮絶な笑いを呼び起こすものがあるのだが
そんなものは当時は
まあ
どうでもよかったというか
気付いてなかったというか
要はわたしは徹底的に不幸に鈍感であった
自分が浅い気がして
本を読んだりマンガを読んだりしても
よくある「主人公の過去」だとかでてくると (今思えばこれがコンプレックスの元凶なのだが)
自分はきっとこんなふうに不幸を味わったりはしないから
こんな幸福もないだろうなどと思ったりして
むしろいらいらしたものだった
過去とは何だろう
わたしは不幸なことはなかったから
幸福なことはないのだろうか
不幸とは何だ
これは
ひとそれぞれなのか
不幸と呼べば
それが不幸なのか
     
まあこんな中2病はどうだっていいことなのだけれど
   
年々こういう感覚がさらに退化して
もっと5歳ぐらいの
たのしくてときめき
ときどき気分屋に悲しく卑屈になったりする
ゆらゆら揺れる気持ちにもどって
ぽかーんとしている
少女ではなく
ひとまわりまわって少年になったような不思議な感覚で
相手がいなくて
真っ黒ではなくて
世界すべてとタイマンで話しているような気がしている
     
幸せでもなくていいけど
一緒にいてくれる人には
楽しいでいてほしいと思うし
わたしも
楽しいでいたい
       
恋にはあまり興味がなく
女性というものが
なんだか
本当に5歳のころみたいにちっぽけな概念で
とりあえず今は
なんだか
世界と1対1であり
ともだちもなく
なんだろう
世界に境界がない
        
今の状態が一番好きです
今のここになるために
いままでわたしは
いろいろ
書いてたのかなと思う
これからはどうするんだろうか
恋とかするんだろうか
     
プールのついた家に住みたいな