なぜ人は「すみません」で立ち止まるのか。

繁華街に行くとキャッチによる声かけがひどい。アンケートやホステススカウトなどさまざまだが、特にアンケートなどは立ち止まって記入している人間も多いものだ。また、記入しなくとも一度は立ち止まり用件を聞く人間もまた多い。チラシ配りに対する無視が増える中、なぜ「すみません」という一声に一度耳を傾けてしまうのだろうか。
現在、路上に有用な情報は無いに等しい。そして当然大金が落ちているわけでもない。情報は携帯電話やパソコンから拾うほうが便利であり、路上での出会いがきっかけで大金が手に入るわけも無い。人が路上に期待するべきことは、路上としての通路の役割だけであり、そこで自らの名前すら知らない人間に、耳を傾けることは無意味に等しいのである。
耳を傾けることの一つに、「すみません」という呼びかけが助けを求める呼びかけの可能性を考えての場合がある。迷子の人やもっと緊急の事態の場合、人はなるべく手助けをしようと振り向いてしまうものだ。しかし本当にキャッチの「すみません」と助けをもとめる「すみません」の区別がつかないものだろうか? むしろ困っている人というのは声をかけてくる前から目に留まっているものであるし、そうでないとしても声色でわかるものだ。しかしこれからの時代、「すみません」だけでなく道に迷ったんですと先に用件を言うような形をとったほうが相手には親切なのかもしれない。見知らぬ人間に話しかけるのも勇気がいるが、話しかけられるのもドキっとすることを忘れてはならない。
そのほかでは商売っけのない人間によるキャッチである。アルバイトとして今日きたら仕事がアンケート収集だったんです〜こんなつもりじゃなかったんですぅ〜と弱りきった顔をして「ちょっとだけ書いて!」なんて頼む形で同世代にすりよってるくるキャッチもいる。こういった人間には同情を抱いてしまうし、同世代・同性だと気も緩んでしまうだろう。しかし相手はあくまでキャッチである。住所や名前を必記とするようなアンケートであれば、とくに相手にこころを許す必要はなくなるだろう。敵意に近い警戒心を抱いてもかまわない。もしアンケートの内容を見る前に気を許してしまうようなことがあったとしても、記入のさいにはうその住所・名前を書き並べられるぐらいの保身をしなければならない。また一方で、他者に迷惑がかからないよう、うその住所・名前は存在していてはならない。
警戒心が高まっていく現代に対して、キャッチという基本的な勧誘方法は下火になっていくだろう。もしかしたら名前を呼ばれるまでは振り向かない、という流れから「ヤマダさん詐欺」や「スズキさん詐欺」が横行するかもしれない。けれどそんなものが本当に横行したらあまりのあほらしさに笑いネタにしかならないような気もする。
    
*一方で市場調査のためにアンケート調査を個人情報不記載で行っているところもあるかもしれません。そういったところへの協力・非協力は個人の判断で行うべきとしか私にはいえませんね…ふがふが。