一方でジョギングは一日でやめてしまった。

人にはそれぞれ生活における(ある種くだらない)信条と言うものがあるらしく、それは食い意地とか拝金主義とか恋愛至上主義とかいろいろ元手はあるらしいのだけれど、ともかく私は「食をおろそかにする」という生き方がどうもできない。食い意地…と友人は言うがそういう言葉は乙女として問題なのでやめていただきたい。
たくさん食べるとかそういうことじゃない
グルメェーとかそういうものでもない
つまりは「食べたものが君の肉や骨やらになって、それがこれからの君を支えるというのにそれをいい加減にあしらうとはなにごとかね!」と思うわけだ。子供に添加物を与えない親と同じ気持ちである。
一人でやっとけ、とな? いやいやいや。私がそんなことを思うのは自分のことだけで、人の信条はまた別にある。ともかく自分が「ご飯食べるのわすれちゃったー☆キュピーン☆」などと言うところを想像したらアッパーを繰り出すに時間は1秒も要らなかろう。
食べるとは人間の当然の行いであり義務であるし、生きるに直結した大事な業務である。まあもちろん健康的で体に優しくおいしかったりしちゃったら神がかりだが、そうではなくその重大性を理解しているかというのが問題で、ファーストフードだろうがなんだろうが、きちんと考えてバランスを見て食べるなら別に悪いことではなかろう。
旅行先では名品を食べ、つねに4色そろえた食品を(アメリカのおかし以外で)揃え、味付けは薄口で、「辛いのは痛い」は合言葉で! こうして考えるとなんだか幸せな気持ちになるのだった。ああ健康美。ああアグネスラム。
食べるのに気を使っていると、ずいぶん私も大人ね、とか思う。気づけは成人になってしまった。大人も簡単になれるものだと、タイムマシンができたら子供のころの私に伝えてやろうと思っている。そして子供のころが最高潮だった私は、薄汚れた大人の自分の姿に「ああ!ピーターパンになりたい!」と嘆くだろう。