正月…それは着物と餅と深夜映画とテレビジョン。正月…それはバーゲンと初詣と試験勉強。正月…それは収支がともに桁違い。

暇ではないのですが思ったことをひとつ。たとえば音楽において「これは昔のビートルズとなんら変わらないし、おまえらがやらなくても昔に完成されているんだよ」という言葉を聞くことがあって、この例えはビートルズでなくともなんだってかまわないし音楽じゃなくてもいいのだけれど、とにかく、過去に完成された「いいもの」を同じもの、もしくは似たものが現代でも現代の人間によってなぞられていることを私は悪いことだとは思わない。たとえばこの時代に多感な思春期を迎える子供たちにとって、触れやすいのはビートルズよりも今活動する生のバンドであるし、彼らのあるアンテナを始動させるためにも、生きた古典は必要なはずだ。(といっても私はビートルズを古典とは思ってないけど)すでにさまざまなものに触発された人間にとって、それら経験を超えるのでなければ同じもの、似たものは必要ないかもしれない。けれど何も知らない子供たちにとって、触発してやる入り口として、生きた存在は決して不必要とはいえないだろう。のだめに「私たちは何をやっているのかしら、昔の服を着て昔の音楽を弾いて」という言葉があるけれど、古いものを死なせない、生かし続けるということは、文化を担う人間にとってとても大切なひとつの営みであると思う。