marquee moon

映画が好きな人や音楽が好きな人や小説が好きな人やさまざまいらっしゃいますが、そういう人はみなさん、自分の好きなものを神聖な存在として言葉にすることもあり、そういう愛情に凄みすら感じる日々です。しかし私は確かに音楽がとても好きですがテレビも好きです。しかしテレビがすきといえばなんたることでしょう、くだらない、下世話、つまらない、そんなことを言われ、肩身が狭く、映画に携わる人や音楽に携わる人や小説を書く人となんらかわらず、日夜人々が頭を働かせ、画面の向こうの人を笑わせたりほっとさせたりしようと奮闘しているというのに、と悔しい思いに駆られます。なぜでしょう?タダだからですか?(一部を除く)そしてテレビをくだらないだのなんだの言う人はたいてい、テレビを一年中ずっと見続けたことなどないような人で、ついうっかりつけたときにそりゃもう駄作に出会ってしまった不運な方なのだろう。ご愁傷様といいたい。テレビもすっかり文化だ。たしかに一年中流れ続けているのだからつまらないものもあるし、そんなものがはやったりすることもある。けれどそれぞれに個性があり、なによりキャッチーだ。人にこびようとしているという非難もあるだろうが、そんなのは商業がかかわる限りどれも同じだろう。そしてその網をかいくぐって奇才があらわれることもどれも同じ。テレビだって時に宝物が現れ、人に忘れえぬ思い出を与えて去っていくのだ。
テレビを見ると馬鹿になるという人は、馬鹿になるようなテレビしか見たことがない人なのだ。たとえばそれは「映画ってさー長いじゃん、2時間とかさー寝ちゃうんだよねー」という女子高生や「音楽は音だけでつまらない、今の世の中映像もないと味気ないよ」という子供や「いやいや小説とか字だけじゃん!」とか言う若者と変わらない。そういう感想しか得られないものしか観てこなかった、聞いてこなかった、読んでこなかった、それだけのことを告白しているに過ぎない。テレビはくだらないと思われるために作られているわけではない、それだけは確かであるし、その気持ちがある限り、すべてがくだらないなんてことは決してないのだとわかって当然のことではないか。
   
(そういえば昔アナウンサーが笑いの大御所の前でお笑いを誰でも出来る仕事、馬鹿でもできる仕事と言っていて、それじゃあ今からここで一億人を笑わせてみろ、と思ったことがある。私が中学生のころの話だ。人の一生をかけた仕事を見下すこと自体が恥ずかしいことだが、これまで自分たちを笑わせてくれていた人をそんな風に言ってしまうのはなんて悲しいことだろうと同情した。笑いとはもっとも与えることが難しい感情だと思うし、それを十分に手に入れることが出来ることこそが幸福の証ともいえるだろう。確かに笑いは「おおごと」だと思われてはおしまいだ、くだらない、つまらない、馬鹿らしい、誰でも出来る、そう思ってもらって緊張を解いた状態で受け入れてもらえるのが芸人にとってはいいのだ。だけれどその一方で大人なんだから笑いを享受する側は、それぐらいわかっているのが普通じゃないかと子供のころだが私は思った。)