ででででーん

日記と言うのは本当にやる気がいらない、そして出ない媒体で、そういうところだからこそ毎日じゃなくても頻繁に書くことができ、まあうそ半分に聞いてもらえるわけで、こういういい加減なものがとても性に合う。が、とても楽をしているのもひしひしと背中に感じているので、そのあたりを自覚し原稿を書く。
誰のために何のために書くかということについて私は考えたことがなくて、でも高校生時代ぐらいのころはそういうことを口先でかたるのが好きなものだからいろいろ思ったりもしたけれど、本質的にそれを意識してものを書いたことなんてないし、だからといってそれが自分のために書いているのだ、書くために書いているのだ、ということにもならないと感じている。その原因はなんだろうと思ったら、わたしはこれまで内容はともかく異常な枚数の文章を書いてきた自信はあるけれど(文章を書くのが癖みたいな子供だった)、それにくらべて読むという行為を怠ってきたのだろう。書くという行為だけが独立しすぎて、書き終わった文章と言うものがどういうものか、まったく理解していない。わかっていないし見えていない。日記のログと一緒で、他も読み直したりなんてしないんじゃないだろうか。一方で書いたその瞬間がとてもスリリングだったりすると、その感覚を思い出すためにその文章をいつまでもひっぱりだしてみたりする。書くという行為自体が、文字や文章とはまったくはなれた存在として私にはあって、それを大事にしているだけジャマイカ。そんなことに気づくと自分にうんざりするのですぐ目をそらしますが、そのうち直面するのだろうな、そのツケに。でも今のこの宙ぶらりんな現状にそれから戻ってこれるわけでもないので、今はあえて脱出など考えないでいようと決めている。これは楽なのかな苦なのかな。