20世紀少年とMONSTERのオチの正しさについて〜「妖怪よりずっと人が怖い」

20世紀少年もMONSTERもオチがいろいろ言われているけれど、私はあれは浦沢直樹さんの怪談だったんじゃないかと思っている。怪談話でその幽霊がいったいなんの霊だったか、むしろ霊とはなんなのか、それをさぐることはない。その霊があらわれたということが問題で、それに遭った人々こそがつねに主人公だ。よく「妖怪よりずっと人が怖い」といわれているけれど、それを本当に作品にしたのがこの2作品だろう。敵も人だから私たちはつねに同じ目線にかれらをひきずりおろそうとする。つまり、人には理由があるはずだ、人のことは理解できるはずだ、という傲慢さが(しかしこれは不安によるものだけど)、ともだちを妖怪とおなじ位置においておくことを許さない。彼らの存在を納得しようとする。しかし私は、ともだちもヨハンも、自分たちと同じ人にしようとする声は、きっと人は妖怪とちがうんだと信じたい人々の葛藤の現われだと思うんだ。もちろんエンターテイメントとしてオチはとても大事だろう。けれどこれは人を理不尽で絶対的な悪にしあげた作品を書くとき、つねについて回る問題で、けっして浦沢さんが悪いということではないと思う。むしろ「21世紀少年」としてともだちの過去を暴いていったように、20世紀少年と「ともだちの真実」を分離している。この行為はとても正しいことだと思うし、怪談においては20世紀少年で完結していたのだ。ともだちの正体やヨハンの思いをへたに納得させるためにわかりやすく用意するよりは、ずっとこれが正しいと、私は思っている。ともだちの正体が読者の知り尽くしている人物だった場合、これまでの恐怖をふりかえってもそれは小さくなってしまっていたと思うんだ。