短絡的美少女に会ってみたい

生きるってのがよくわからないのは普通だ、(誰かが「僕らに断言できることは生まれてきて死ぬってことだけじゃないかな」といっていた)、生きるってのはわからないものだ。生まれたと死ぬの間にあるのが何かわからないのだ、でもだからってすぐ死について考えるのは短絡的じゃないかと最近思う。死は生きるじゃなくて生まれるの対極にあるものだよね、だから生きるを考えるときに死をもちだすのってなんだかなぁ、神様に笑われそう。あっ「生きる」って単語が悪いのかも。要は生まれて「のんびりして」死ぬ、ってことだとおもうから、これから「生きる」は「のんびりする」に置き換えましょう。生きとし生けるものを大切に→のんびりしのんびるものを大切に。……のんびる?