ブリッジができなくなった。22歳、春。

関西にキッザニアがOPENしたらしいですね。私は入れないんですか。ありえないですね。年齢制限なんて酒とたばこだけにしろよ!
キッザニアとは子供が大人になったつもりで働けるというテーマパークで、町のサイズもちょっと小さめに作られており、そこ専用の通貨まであるそうです。職業はさまざまなものが選べ、パン屋さんから裁判所まで幅広くとりそろえられています。私だって裁判官やりたかった!消防車のりたかった!世界征服したかった!
就職活動で半泣きになる学生たちにも期間限定で場を提供してくれたらいいのにな、と思うけれど、「ごっこ遊び」で仕事を選ぶのは12歳まで! とかそういう考えなんだろうか。(キッザニアは子供限定。)じゃあもっと早く作ってよ!とほんと思うよ。給食にケーキが出たってのをうらやましがる世代の気持ちがよくわかるよ。
でも子供と私たちなんて精神的にはなんら変わらないと思う。普通に弱虫でめんどくさがりだよね。若者がそんなゆるい世代だということを、大人はなんだかんだで直視できてないけど。キレる17歳とかいう言葉もあったけど、あんなのはむしろ大人にとっては都合のいい姿なんじゃないかな。本当にある若者の平均は、「なにもしたくない」「なにも考えたくない」「楽がいちばん」だと思う。まだキレたりする熱さがあると思うほうが大人には理解しやすいみたいだけど。ま、私たちからすればキレるのはただの異常者だ。でもキレるやつよりも、「おまえに夢はないのか!」「野望を抱け!」「プライドはないのか!」っていう言葉にまったく反応しないやつのほうが上の世代にとっては信じたくないものなんだろう。あきらめないのが若さ、無茶するのが若さ。そうやって若者を理解しようとするから、今の姿が奇奇怪怪見えるんだろうな。
若者は悩みとともにあるというのが通説らしい。しかし今、私たちの世代で見る「悩み」は単に「思春期」のものであって、「青年期」のものではない。思春期に悩むのなんて生理現象だ。では私たちはなんなのだろう。「若者らしくない」という言葉は外からやってきたたいへん勝手なものだし、正しいわけがない。やる気のない若者、夢を持たない若者、それがまるで病気のように扱われる。けれどそれは自分たちを正常だと思っている人が、異常だと思うものを除外しようとしているにすぎない。本当は、熱すぎて無茶をする世代があきらめない世代とも言われるように、悪い言葉の裏にはいい言葉があるはずだ。私たちの世代に当てはまる「いい言葉」が何なのか、それがはっきりするのはもう少し先、「私たちが若かったころは、」なんて言い出すようになってからだろうけれど、それがわかるまで、決して私たち自身だけは、自分を否定してはいけないだろう。たぶん。しらんけど。