「学問が恋人」

「エリートな人間は人間として性格がゆがんでいたり欠損していたりする」というのが典型的パターンとしてよく出てきますが(ドラマとか)、私はこれほど不気味なものを見たことがない。私の知っている東大模試で5位以内が普通の知人は学年で「おもろい子」としても知られていた。「全国ランキングで有名な○○さんとはいったい…!」と他校生が見に来て「……!???」という顔をしたのも覚えている。そんなもんである。たとえばノーベル賞をとった小林先生・益川先生についてもそうだが、「彼らは勉強で青春を消費した」と考える人がいるかもしれない。けれど「彼らは勉強で青春を謳歌した」だけだ。勉強が嫌いな人にとって、勉強は義務でしかないのかもしれないが、野球やサッカーといったスポーツと同様に、勉強を愛すべき青春の友とする人間は必ずいて、そうした人は仲間と協力して、課題に立ち向かっていく。この姿は甲子園球児となんらかわらないし、そうした人を「ガリ勉」だとか「人として欠損」だとか言う資格が誰にあるんだろうか。そりゃもちろん、「やらなければならない」としか考えずに勉強をしてきた人間性のない人もいるだろう。そういう人は確かにつまらない人間なのかもしれない、会ったことがないので知らない。しかし勉強を青春の邪魔モノと考えた人が、それはすべての人間に共通しているものだと考え、学問に専念する学生に同情したりする行為は、見当はずれで失礼極まりないことだ。君たちは甲子園球児に「素振りばっかりして楽しくないでしょ、かわいそうに。」とか言えるのか。
ちなみに学問がスポーツや遊びより上という考え方も見当違いだなーと思う。十代の子がやる勉強がそこまですごいもんだとは思わないし、すごいものだとしてもやりたいことを本気でやることに優劣もないと思う。青春を若者が愚弄することほど、悲しいものはないなと思うよ。