法って難しいよね

「私が今むかついていてぶん殴ってやりたいという気持ちを論理的に、そして普遍性を備えたまま伝えなければ、殴ることは許されない。そこで法が誕生した。しかし法に異議を唱える人間は必ずいて、私の暴力がすべての感性に正当化されることは最後までなかった。しかし私は殴りたいという気持ちを解消することは出来ず、よって私は自分が悪人だと知った。」
「いのしし年なのでぼたん鍋を食べてはなりませんといわれて、それは僕の家だけなんだけど、お父さんは厳しいからきちんと守りなさいって言うの。それでがっこうの一泊旅行のとき、ひとりだけおなべが食べられなかったの。僕パパが嫌いになったな。」
「たとえば私が愛した人を必死に守っていたとしても、その人が善人か悪人かなど本人しか知ることはないのです。私はそれをわかっていながらも守り続けるでしょう。愛は達成されました。しかし愛とは正義を侮辱するものでもあるのです。悪い意味でも、よい意味でも。」
「もし法律を法則とする人種を作り上げることが出来たら、そのマニュアルにはネジやバネといった部品が羅列されることになるでしょう。法律の下に人が生まれることはありません。なぜなら法律とはもともと、世にはあってはならないものだったから。人が産み落とした、自然になじむことはない人工物なのです。」
「神の裁きは気まぐれです。天に願い続けても雨が降らなかった村があったように、神は時として願いを聞き入れてはくれません。人はその点合理的ではありませんか。悪を裁き善を称える、その構造を作り出したのですから。実は善も悪も人にしか尊重されない概念なんだそうです。鮮やかな色を見分ける人類の中で、3色だけを見わける犬のように。」
「食パンをくわえて走っていたら転校生とぶつかるらしいよ。そして相手と幸せになれるんだって。そういう法則がどこかにはあるんだ。」
「現実には合わないつじつまというものがあるのです。善人が悲しみのまま死んでいくように、悪人が喜びのまま死んでいくように。たとえばそれは前世や後世といったところで、つじつまあわせがおこなわれる法則なのだと納得するべきなのかもしれません。しかしそれでさえも理不尽であると、叫ぶ私は身勝手なのでしょうか。」
「そうして私は食パンをくわえて走り出したのです。毎日、それは行われました。幸せになれると信じていたのか、それはもはや覚えていませんが私ははっきりとその瞬間に、こころが踊っていたと断言できます。もし今、私が成人して、それでも食パンをくわえて走らなければならない生活をしているとあなたに述べても理解は得られないでしょう。しかし、私は今もあのときも、後悔などしませんでした。もし、あの法則の真偽を述べる権利がいただけるのならば、私は真であったと述べるまでです。」
「はっきりと自らを善人だという人間は信用してはなりません。人は時に愛のために、信頼のために、仁義のために悪人とならなければならないのです。それを想像しない人間が、善人なわけがありません。」
「明記された定義はすべて怪しい。しかし明記されなければ不安で死んでしまうような、弱い生き物にそれ以上のことは望んではいけない。」