男勝りな少女の顛末

少女が喧嘩に強い理由。それは男の子が叩かれたり叩いたりして毎日を過ごしている一方で、少女はめったに叩かれることがないため(そして男の子は女の子に手加減をするため)、喧嘩のルールも手加減も知ることができないし、美学というものを身につけることもできないことにある。女の子にとってルールもなにもない無法地帯であるから、体格差がそれほどないこともあり、無茶苦茶をやって勝ってしまうのだ。(これは兄弟のいるライオンの子供がどれぐらい噛めば痛がるのか、どれぐらいならじゃれあいで済むのかを兄弟での喧嘩で学べるのに対し、人間に育てられたような孤独なライオンの子供が喧嘩をすることがないためいつまでも手加減を知らず、喧嘩のルールも学べないのに似ている。)これを女性と男性の性分の違いとして解決することはとても単純でわかりやすいかもしれないが、そうとも言い切れないのは、そんなものを身に着ける経験を女の子はもともとすることができない立場にいるからである。ものの好みがはっきりする以前から「恋愛最高」とのたまう少女マンガを読み、親の趣味でおしゃれを叩き込まれ、気づいたころには恋愛とアイドルがもっとも近くにあるような環境で、仁義や義理というものを身に着けるのは至難の業だろう。もちろんその後、自分の環境にぞっとし、別世界を知っていく女の子もいるだろうが、それにしたって友情努力冒険をテーマにした少年時代を生きた男の子より年を経てしまっているはずだ。女の子にも神輿に命をかける子はいるし、カメハメ波を出せると信じている子もいる。女の子なら誰もがかっこいい登場人物を見て「お嫁さんにして〜!」などと思うわけではなく、男の子同様「この人みたいに強くなりたい!敵を倒したい!」と格闘やスポーツの道に進む女の子も少なくないのだ。「男のロマンは女にはわからん」という言葉をよく聞くが、それは総じて「男のロマンを理解できる女性」は自分の夢を持ち、誰かを守りたいと願う我の強い人物であるから、男性にとってみれば煩い存在でしかなく、眼中に入っていないからである。もうそのへんは仕方がない。少年漫画の主人公が二人いるようなものだ。邪魔だろ。ふつうに。個性がある以上、少年のロマンみたいなものを理解できるかできないかは男女差というより、個人差でしかない。
体力差がないころ、女の子は手加減を知らずにいるため、男の子と喧嘩をしても勝ててしまうことがある。そうした少女が年を経て、喧嘩に勝てなくなっていくとき男の子が自分に手加減をしていたこと、そして自分があまりに無知で、手加減をしてくれた男の子の義理を理解できずにいたことにショックを受けることになる。そうした自分の未熟さに打ちのめされているころ、押し寄せてくるのは女性というものに自分が当てはまりつつあるのだという事実で、彼女たちはそうやって思春期へ突入するのである。
   
(追記:「女子的男子」についての言及がブコメでありましたが、正直それは私女子なんでわかりません。思春期のころ男友達いなかったし。たしかに男子的女子は女子にとって「かっこいい同性」と見られ尊敬されたりするので、女子的男子のほうが立場はつらいのかも、と想像はしますけどね。でもそれは女子の私には言及できないことですし、男の人のことを書くときはどうしても典型的男性を元にしてしまいます。あと、男子的女子の立場改善のために本文を書いたわけでもないので、困っちゃいます。そうした問題は本文に書いたように「仕方がない」こと。異性に神話を抱くのは男女問わず当たり前のことで、いまさらそれに心乱されてたら生きていけないぜ。ただ、自分が「女子」だったという経験から男子的少女の思春期について書きたかった、それだけです。)