マネーは降りません

むかしからパンピーぶるのが得意である。といっても私はさほど変な子でもないので、だから得意なんだろ、って言われたら「へい、そうなんでございやすよ旦那ぁ」ともみ手で答えるしかないが、おとなしい、まじめな人としてなじむのが大変得意だと自負している(ただし初対面を過ぎると耐えられなくなり、たいへんえげつない本性があらわれるとゆう説もある)。自分があるがままでいることと、他人に受け入れられることはどちらも重要なことであり、「他人の目なんて気にしないね!」という人間もなんだかんだで最低限のレベル、他人に気を使っている。じゃないと国家では生きていけない。そこから派生して、他人に気を使わせないように平均的視点をもっているふりをしたり、叫びたくなってもやめておいたり、人によってさまざまな意識が生じる。こういう意識は商業芸術にも当てはまる問題で、好き勝手にやった上で、どうやってそれを人に見せるのが一番いいのか、という作品が完成した上での二次的な演出が必要とされる。エキセントリックなものを、見逃せないほどにさらにエキセントリックにして売り出したり、むしろ逆にわかりやすいパターン化されたものに無理にあてはめることで受け手の警戒心をとこうとしたりする。十人十色であるはずのものがそして一気にワンパターンになり、受け手は敏感に反応して非難するわけだけど、素直になっちゃうと売れないのが世の中なので、お金がかかわるとロクなことがないぜ、っていうことなのかもしれない。