ふとチャンネルをつけたら会える。

クレヨンしんちゃんがはじまったとき私はしんちゃんと同い年だった。ポケモンが大ブームになり、コナンの第一回が首ちょんぱでトラウマになった。ドラえもんやちびまるこちゃんはすでに大御所だった。よくよく考えれば自分が幼いころ見ていたアニメがいまだに続いているということ自体が幸せなことだろう。
子供時代がただの未熟な時間だったと言う人はいない。私たちは子供時代に確実に何かを失っており、そして今また新たに何かを得ている。今の自分達からなにを差し引いたってあのころには戻れない、子供として新たな経験をすることが出来ない、その事実が「懐かしさ=せつなさ」という図式を完成させているのだ。だからこそ私たちは当時見ていたアニメや漫画を完全版やDVDBOXで手に入れようとし、もはや戻れない子供時代に擬似的に戻ったつもりになろうとする。けれどもしそのアニメや漫画が最初に挙げた作品のようにいまだ続いていたらどうだろう? 当時自分が心躍らせていた作品そのものに向き合うことは、子供だった自分の経験を再生しているに過ぎず、子供のころの自分の成長はすでに停止してしまったという事実を直視しなければならない。けれども当時とはまた違う、成長し続けている作品があるとすれば、私たちは新鮮な気持ちで、しかし子供に戻ったつもりでその作品を見ることが出来るのではないか。子供だった側面の自分が、そうした作品によって大人である自分とはまた別の階層で成長し続けることを可能にしている。もちろん「あのころの感じとちがう!」なんてことも何度だってあったし、それがショックで見なくなるという人もいるだろう。けれど私は大人になった自分とはまた別のところで、子供である自分が消え去ることなく、そうした作品とともに生き続けているという状態に喜びを感じるし、そうであってほしいと願う。何十年も続く名作や傑作は、品質だけでなくそれに上乗せした価値がきっと生まれているんだろう。これから生まれてくる子供たちのためにもそうなっていく作品が生まれていってほしいし、今の子供たちにも大人になったとき、テレビの前でふとチャンネルをかえて懐かしい気持ちになってほしい。でも当然、ドラえもんも、クレヨンしんちゃんも、ポケモンもまるちゃんもコナンも終わらないままでね。