童話というものが童話と呼ばれる理由をぼくらは知らない

(前の日記のつづきです)   

 現われたるはエドワード・ベア、ぼこん、ぼこん、ぼこんと頭のうしろを階段にぶつけながら、クリストファー・ロビンのあとについて降りてくる。かれが知るかぎり、階段の降り方というのはこれ以外ないのだけれども、それでもときどき、ほんとうはほかにも降り方があるんじゃないか、ちょっとだけぼこん、ぼこんをやめてじっくり考えられさえしたら、と思ったりもする。けれどじきに、いや、やっぱりこれ以外ないのだ、という気がしてくる。とにかくいまかれは、階下に降りたち、あなたに紹介される態勢はととのった。ウィニー=ザ=プー。

(「書き出しで読む「世界文学全集」 第一回 英米児童文学篇「ウィニー=ザ=プー」」(A・A・ミルン作、柴田元幸訳、文藝2009秋号)

買ってまいりました。何度読み返しても鼻血が出る。文藝にはさらに2ページ分が掲載されていますので、「おお!」と思った方は読んでみてください。いちいち自由でミルーン!って叫ぶことうけあい。ミルンが日本人だったらこういう文章を書いたんじゃないかとか思った。柴田さんお願いですから全文訳して読ませてください。渇望しています…!!!
うちの家にもプーさんのぬいぐるみあります。サンタの格好してる大きいの。雑貨屋さんでみかけて一目ぼれしたチビなころの私は、夢に見るまでにほしかったのに、クリスマスの時期が過ぎて店頭から消えてしまいました。へこむ私を見かねて、母が店の人に尋ね、違うお店にまだあるプーさんをゲットしたというぬいぐるみ愛まるだしの経歴を持ち合わせています。頭ぼこんぼこんやったかは覚えていません。