すれちがい

むかしから知ってるひとたちをふぉろしようかと思ったけどついったーを友人たちとのコミュニケーションツールとして使ってらしたので疎遠になったおいらがでしゃばるのも迷惑かもとおもってやめておいた。こうやって縁ってのは切れていってしまうんだなあともおもう。ついったーの使い道は「いろんな人をふぉろってみて不特定多数とのコミュニケーション目的」と「友達同士の近状報告目的」の2種類があるみたいで、おいらはコミュニケーション下手でありながらついったーの場合は前者の使い方をしてます。(といっても知ってる人をふぉろるけど)
   
ついったーはインターネットツールのなかで一番肌にあっているかもしれない。どうも出会い出会いしたミクシとかは、筆不精も手伝ってほとんどひきこもり状態で、今では日記もまったく書いていない。メッセージもどうお返事したらいいのかわからなくてあがあが言っている間に日がたつし、ネットにネット外の人間関係を写像しただけなんだなと身にしみていた。でもついったーは@での返信、しかも140字という制限によってものすごく軽い気持ちで軽くコミュニケーションできる。もともとつぶやき自体が自己完結しているもので、他者にはそれに触れる義務は発生しないし、だからといって触れてはいけない、というわけでもない。発言に反応するか反応しないかは受け手の自由であり、発言者も自分のつぶやきが自己完結であるから、そのどちらになろうともこだわりはない。反応してもらえたらうれしいし、ほうっとかれても特に気にならない。つまり互いが快な状態のままで、偶然一致したときのみコミュニケーションが成立し、会話が生まれるのだ。
わたしはミクシで日記にコメントしたりするのがとても苦手で、書いてもすぐ消したりね、してしまうわけです。書いて迷惑じゃないか、とかこの発言は正しいのか、とかいろいろ気になるわけだけれど、それは真正面向き合ってのコミュニケーションしかないからだった。ついったーはどちらかといえばすれちがいのコミュニケーションだね。互いの意思が一致したときのみ、一瞬の会話が成立する。ひとりごとの一致。相手がいない一瞬の思考さえも文字として保存され、流していくことが可能なネットだからこその、「不快」が極めて発生しづらいという安心の中にありつづけるコミュニケーション。140字という制限が発言の軽さを守るのに役立ってるね。
ここまで書いておいて、こいつコミュニケーション能力がどこまでないんだと思われかねないですが、いやね、ネットじゃなきゃもうちょっとわたしだって真正面のコミュニケーションもできますよ? ほんとうですよ? うそじゃないですよ? そりゃ目的のある会話以外はテンションさがりすぎて発言しなくなるときもあるけども! ともかくわたしはついったーで実際に知り合いが増えました。知人が「○○さんがあなたのこと言ってた」とか教えてくれていたような、間接的な知り合い(ここでいう○○さん)が、ついったーによって直接的な知り合いになりました。ついったーはこういう「知ってるけどなかなかはじめましてとか言ってきちんと知り合うのが照れくさい」的な人との関係進展に向いているのかもしれないね。ふぉろーが「はじめまして」の挨拶代わりだし、あとは話しかけたいテーマを相手がつぶやいたときにでも@で返事したら、会話が成立してきちんと知り合えるものね。むりにはじめましての挨拶をして、むりに相手が好きそうなテーマを探してきて、本当にこれに食いついてくれるのかしら、とか、失礼にならないかしら、とか不安になりながら話をはじめたりするような、そういうストレスから解放される。ああもう普通の人間関係もついったーみたいになってほしい!(危険思想!)まあそこまで言うとどこかから叱られるんで遠い目をして「現実の深いコミュニケーションも重要だネ!」って三回ぐらい言っておきます。ネ!ネ!ネ!