岡田あーみん「ルナティック雑技団」雑感

岡田あーみんといえば「お父さんは心配症」である。心配性ではなく心配症。一部ではヘンタイ漫画家と言われすぎたショックで漫画家を引退したとも言われている岡田あーみんはデビュー当時まだ高校生。高校生で今ではりぼんに載せることはできないであろうぶっとんだギャグを書いていたのかと思うと、非難にも耐えられないだろうしやはりいろいろ心労もあっただろうな…と思います。いまもあーみんは沈黙を守っているので、想像の域を出ることはありませんが。
ルナティック雑技団」はあーみんにとって三度目の連載であり、最後となる連載でした。これまでのギャグまっしぐらな作品からイメージを一掃し、一見王道少女マンガなノリは、主人公の名前が星野夢美であることからも伝わると思います。ただしここであーみんがやろうとしていたのは、徹底して「少女マンガを少女マンガで笑う」ということでした。うすうす伝わるとは思いますが、乙女乙女した主人公の名前からして、なにか危険な匂いが漂ってくるのです。これが書かれたのは93年から96年。すでにそんな典型的な名前はアイドルだって使っていませんでした。
しかしあーみんは悪意で少女マンガの少女マンガらしい部分を笑ってやろうと思ったのでしょうか。おまけマンガなどに描かれる彼女の過去話からしても、性格上自虐的な要素は強いあーみんですが、しかしへりくだることが多い分、自分以外を悪く言うような面はあまり持ち合わせていないように思えました。ひねくれているとはいいがたく、そういった不器用さは彼女の引退の理由が「へんたいと言われたから」とうわさされているところからもわかります。彼女はものすごく繊細で、不器用だったはずなのです。ではそんな人物がなぜ、一見ひねくれた笑いを作ったのか。それは彼女が単に「まっすぐに少女マンガを描くのが恥ずかしかったから」だと思われます。笑いを含ませずには描けないピュアストーリー。青春の1ページ。あはは、おいらにはむりだよ〜。そうした彼女の戸惑いがゆりこママの血みどろさんげき(ギャグとしての)、黒磯のセクハラ(ギャグとしての)につながったのではないでしょうか(真顔で)。そしてそうした照れが最もよく現れているのは、主人公の相手役である少年の名前でした。彼はだれもが一目見るだけでときめいてひざから崩れ落ちるような美少年(笑)であり、なんでもこなす孤高の存在(笑)であると描かれています。つねに放たれるなぞのキラメキ成分によってなんだかすごい存在として描かれた彼を、岡田あーみんはこう名づけました。天湖森夜。てんこ盛りや。と。まさかの大阪弁。いろいろと確かにてんこ盛りなスペックではあるけども。そして登場したところでは謎のテンコモリヤの歌がながれ、周囲の人物が目が合うたびに鼻血を出しながら倒れていきます。たぶん、あーみんはかっこよくてだれにでもあこがれられる少年が登校しているというシーンを書きたかったはずです。読者の少女たちがみんな恋に落ちるような…。けれどあーみんはできなかった!そう描く前に照れてしまった。「うひゃあ顔が良くてなんでもできて…どんだけてんこ盛りなんだよ!」そして彼女は苦し紛れにあの名前をつけたのです…。周囲が「すてきだわ天湖くん…(きゅん)」としているシーンも「うわあああああ(以下略)」という気持ちで目が合う人から鼻血をふきだしながら失神していくという血みどろ展開に書き換えることで自らをごまかしたのでしょう。そうしたあーみんの照れによって描かれた作品がルナティック雑技団であるのです。
あーみんが少女マンガをまじめに描こうとしていたといえる根拠は、まず、結末のつくりかたなどがまっとうな少女マンガであったこと。少女の恋と成長を、ギャグマンガとは思えないほどきちんと責任をもって描かれていました。ギャグが中心であるならばああした形の結末を迎えなくても、これからも楽しく元気ですごしました☆(ちゃんちゃん)でもよかったはずです。しかしあーみんはひとつの少女マンガとして作品を終わらせた。作家としての責任感の強さを垣間見ることができます。そしてなにより、作品のためにか絵がとてもうまくなった。これまでの作品はギャグマンガそのものであったため、ある意味乱暴で味のある絵が主体だったのですが、りぼんに載っていたとは思えない絵柄でした。そこからあーみんはかわいらしい少女マンガ的な絵を習得してルナティックの連載に挑みます。あまりのかわりように「別人が描いている」説までうかんだほど。ルナティックしか知らない読者が他のマンガを読んだら本当にびっくりするんじゃないかと思う。それぐらいの変わりようでした。前作の「こいつら100%伝説」終了から、ルナティックの連載開始まで3ヶ月ほどしかありませんから、あーみんは若干意図的に絵柄を変えたんではないかと思われます。トーンなどの使い方もえらく変わっていましたしね。そのあたりであーみんは少女マンガを描くぞ!と思って連載をはじめたんだってことがわかります。
お父さんは心配症 (1) (りぼんマスコットコミックス (351)) ルナティック雑技団 (3) (りぼんマスコットコミックス (888))
左がデビュー当時のあーみんさん、右がルナティック雑技団のころのあーみんさん
岡田あーみんのギャグ漫画家としての才能が本当の意味で爆発し始めたのはきっとルナティック雑技団の頃だったと思います。お父さんは心配症は確かに一番人気がある作品であり、私も一番に好きですが、あーみんにとって一番描きやすいマンガでもあったはずです。自分が描きたい・描ける作品を思いっきり書いた後で、あーみんは一人のプロ漫画家として、マンネリにならない新たなマンガを目指して描き始めていました。ルナティックは「少女マンガ(笑)」という要素を強調したマンガであり、ある意味毛色がはっきりしています。そしてそれをあーみんが意図的にやっていたとするならば、彼女が引退することなく描きつづけた場合、ルナティックともまた違う色の作品を(それも色のはっきりした)、次々に生み出していたことだと思います。ルナティックは読者を選ぶ作品であり、好き嫌いもはっきりとわかれるでしょう。ですがあーみんがさまざまな作品をさらに生み出していたのならば、それぞれの読者にとってぴたっと来るような作品をきちんと用意できていたのかもしれません。それぐらいの可能性を私はルナティック雑技団によって感じ、プロ作家のものすごさみたいなものを目にした気がしました。
まあ、引退してしまった今では、そんなことを言っても無駄だと思いますし、「だめになるまえに引退したからこそ伝説になったんだ!」という説もあります。しかしすばらしい過去の作家がいまも描いていたらどんな作家になっていたのかを夢想するのも、読者の特権なように思えてなりません。