サンタは血の色

ジョギングをする集団を自転車で追いかけて南ちゃん気分を味わうのがクリスマスの予定です!こんにちは!しばらく更新していなくてごめんなさい。これでも原稿を書いたりフリペを作ったりもそもそやっているんですがでもネット更新を怠るのは情けないと思っているよ!
  
一応言葉でお金をいただく端くれであるのでやはりブログといえど無料で毎日言葉を発表することにはどうなんだろうと朝方とか思うわけだけれど、最果タヒも森山森子もはじめにその名前が点滅したのはインターネットの波の中であってそこで育ててもらったに違いなく、かといって恩義を返すためにやっているわけではなくて育ったからこそその場を信頼しているのですよ。今だって私のことをこのブログから知ったって人がいるのだし、ブログだけ読んでいる人にとっては私はいつまでも最果さんではなく森山さんだし私も森山さんとしてこのページは更新しているからね。
ただ無料で公開する限り、あまり練りに練った内容は書かないで保存することにしている。仕事が来たときネタに困ることを予防するのがその大きな理由だけれど、ネット上で輝くのはノリと勢いだと思っていて、練ること自体があまりにズレた行為じゃないかという想いも多分にある。私はいつも日記をその場のノリでテーマを決めて書くことにしていて、だからどれほど長くても最後にどうなるかなんていうのはわからないまま書くことが大半だ。だからこそ無責任で甘さのある文章が生まれることは多いし、それはあとあと私が沈黙の中消去しちゃったりするんだけれど、そうした中でもリアルタイムでの脳のフル回転が降りてきたときに想像できない結末に到達するということが時にあり、私はそれこそがネットだけで生きる特色だと考えている。そのときのノリが最後まで結晶のままあり続けることは、発表に時間のかかる紙にはなかなか難しく、伝わるとしても色あせることが大半じゃないだろうか。だからこうした場所が紙にかわるわけはないし、また紙がネットにかわることもないんじゃないかと私は思っている。考えなしに言っているので「危機感がたりないぞコノヤロウ(笑)」という気分にさせたらごめんなさい。ただ同じ言葉でも私にとって二つはまったく異なる媒体としてあるように見えていて、むしろマルチに言葉が活動できるようになった可能性の塊だと思っている。練られた言葉もノリの言葉もどれだってすばらしいし、それぞれまったく違うものだよ。その二つがどちらもぴったりの媒体を得たことは、むしろ喜ばれることじゃないだろうか。
  
というようなことをフリペを作りながら思いましたよ。なにせ最果タヒの詩(発表済)と森山森子に載るような文章(未発表。まじめとふまじめの二種類。)を混在させた紙なのでいまのうちにいろいろ言い訳しようと思ったんです。うふ。さてそんなことより南ちゃんごっこはやっぱり切ないでしょうか。予行練習をしたら涙が出たんで当日は血の涙を危惧している昨今です。サンタ色だね!