よいお年をザッツオールライト。 

私は18歳のころネットで勧められて詩手帖に投稿しようかと思い始めた。投稿するための作品を準備し始めたのがちょうど大晦日のころで、コタツに入りながら作品を一週間ためて、そのときにできたのが「苦行」だった。はじめてなので勝手がわからないしそのほかにもいろいろつめこんだ分厚い封筒を送って、それでもう私は一回忘れた。載るとかそういうのが目的と言うよりは出すことが重労働過ぎた。
そういえば私は「現代詩」を書き始めたのが17歳前後のころで、同時にネットで投稿を始めた。書き始めのころ書いた作品が詩集にもある「小牛に朝を」で、たぶん書き始めてから5作品目ぐらい?だった。詩集に入れたものでこれが一番古い。書き始めたときは一回きりのつもりで、だからペンネームもいい加減に決めた。まさか5年以上も使うとは思わなかった。あとこまっているのがまったくデータを残していないので、書き始めたとき17歳にもうなっていたのかどうかすらわからないということ。個人的にはあまり気にしてこなかったのだけれど、インタビューとかしていただくときにそれは結構困ると気づいた。17か16ですねーって21が答えているのはなんだかな。4年前のことも覚えていないのか!という。
2005年2月号で苦行が入選したのを見つけたとき私はこれまでにないほど血の気が引いて、本屋でおののいた。予想外の出来事すぎておろおろした。特に苦行ははじめ詩として書いてなかった(日記だった)のでね。
   
詩を書き始めて一年して苦行を書いて詩手帖投稿にうつって、そのあと半年で博愛主義者を書いて、また半年で死なないを書いて、2年後6個目の心臓などを書いて、スパークした書いて、小説を本格的にやりはじめて、連載が始まって、という流れなんだけど、正直変化の時速が甘くなったと思う。まず死なない書いてから6個目の心臓までが2年かかっていて、その間詩集とかアンプルとか作っていたんですけど詩集&アンプル作りは編集さんががんばったのであって私はぼーっとしていたので、ほぼ空洞といっていいわけです2年間。んでスパークしたは詩じゃないし、詩の連載が始まるまで真夜中からほぼ1年なわけです。投稿する以前であればネットで一年間毎日投稿していたこともあったわけで、そうした変化の連続から見れば今は甘いです。あのころは若かっただとかそれは今言う言葉じゃないよね! がんばってないだけだろ! という。しかし言い訳をするならば投稿というシステムがとてつもない加速器になっていたんだとは思います。投稿者のころはいろんな人に感想をもらうから自作品に対する意識が自動的に強くなり、また入選とかポイントとか結果も伴いますから、意識して良し悪しなど評価をはっきりと記憶します。別に他人の評価を気にして作品を書いたことはありませんけれど、きちんと自作品に向き合うきっかけが生まれたことで、次に向かうときのスタートダッシュがまったく違ってしまうのでしょう。もともと自分の作風が趣味でない私としては、あまり自作品を何度も読み返したりはしませんし、他人にいろいろ言ってもらえる投稿時代の作品がやはり感想とともに一番記憶に残っています。好きだと言ってくれる人が多いと作品がいいように思え、記憶に残り、それからの目標になる、といえばかなり情けないお話ですが、作品に対する自意識の弱さはすごく反省してます。自意識が強そうに見えるでしょうけど、私の作品に対する自意識はむしろもっと強くしていかなければならないといつも思っています。溺愛するぐらいがちょうどいいのかもしれませんね。(あ、あと以上の理由で感想メールとかいただいたときはうれしいのと同時にとても感謝しています。なので気持ち悪い感謝の返信とかしてしまいますが、あまり気にしないでください。)
   
というわけで年末ですので過去を振り返ってみましたよ。年末なのに5年前振り返ってどうするのかしらね。メリークリスマスもついでに。メリークリスマス! ちなみに細胞って何年で入れ替わるんだっけ? 別人かもしれないね。