amiと「せんせいがおこったら」

平岡あみさんの詩画集「ami」が気になる。宇野亜喜良さんが画を担当しているということで知ったのだけれど、あみさんの詩はちらりと見たところ好みっぽくてとっても気になります。長いこと書いている方(といっても今15歳ですけど)なのに知らなかったのが恥ずかしいなあ。これは今回の詩画集の作品ではないですけど、あみさんが産経新聞(平成14年5月1日)に7歳ぐらいのころ書いた詩。
   

「けはい」 平岡あみ
マミイが そばにくるの けはいでわかる
おはなが もうすぐさくのも
はるが ちかづいてくるのも
けはいでわかる

  
かわいいなチクショウ! 子供の詩というのは特有の発展があって高速で話がかわっていくんですね、たとえばあみさんの詩ではないけれど(そして私が引用する必要もないほど有名ですけど)「せんせいがおこったら」はそうした飛翔の結晶(別に韻は踏みたくなかった!)ですね。(かなり昔のものなので作者名は一応伏せます、念のため再度書いておきますがこれはあみさんの詩じゃありません。)(VOWより)
   

「せんせいがおこったら」(伏字)じゅん
せんせいがおこると
ガラスがこわれ
じめんがこわれ
ちきゅうがばくはつし
うちゅうもばくはつし
このよはおわる
みんなが
しぬ

   
私はこの詩が非常に好きです。ネタとかそういうことじゃなくて、詩としてすごい作品だと思っています。教室がすべてのころの子供って教科書を忘れたとかリコーダーを割ったとか、そういう小さなことで世界の終わりみたいに先生に怒られる!っておびえます。怒られたら死ぬわけでもないし、なにかとられるわけでもないけれど、子供は人に怒られるってことを素直に恐れる唯一の存在だと思うんですよね。必死で言い訳を探そうとするし、なんとか教科書を手に入れようと奔走するし、今おもうとどうしてそこまで怒られることが怖かったのかわからないほどです(冷めた同級生もいましたけど。)年をとると罰があるならともかく注意だけでは落ち込みはしますがそうゆさぶられることもなくなってしまいます(経験をつむからどうしてもね)、心無い「すみませーん」でやりすごそうとする大人まで出てきます。そうしたなかで怒られるということだけでこうもおびえるのは、もっと怖いことを知らない、小さな世界で守られて暮らしている子供たちの特権でもあるのでしょう。こんな小さなことで人類滅亡とまで言ってしまうその幸せよ! この作品はそうした恐怖と幸福がありのままに描かれています。ネタにするなんてとんでもないんです! する気持ちもわかりますけど! ですからみんながしぬと書いたこのじゅんくんは別に変わっているわけでもぶっとんでいるわけでもなく、すっごく素直な子供だったんだと思います。先生も別に武装しているわけでもなく普通の先生だったんでしょう。最後の改行は縦書きのほうがいいですね。
昔釈ゆみこさんは頭の回転が速すぎて言葉にするのが追いつかず、123……と話すはずのことを1.5.10と話してしまうので天然扱いを受けいているように思えると書いたことがありましたが、子供は全員がそういう感じです。道筋とか説明する暇がないままどんどん思いついた方向に発展していく。それが発想の瞬発力みたいなもので、そこを素直に出すことが創作では重要だと思っています。で、あみさんはもちろんそうしたことが自由にできるころから詩を書いているので、そのまま15歳に突入したらどういうものを書くのかぜひ見たいと思いました。