その早朝

私は1月17日の被災者ですけれど、あえてそれで文章を書くほど体験が言葉に変容しているわけではありません。私は当時7歳でした。大人の被災とはまた違うのかもしれません。立ち直ることは早かったですが、それは「誰もが幼少期にこうした体験をするのだ」と解釈したからかもしれません。被災することがありえないこと、きわめてまれなことだとしらない子供達は、そのために立ち直るのが早いのです。全員がそうとは限りませんが、私の場合はそうでした。
インタビューで尋ねられるまで私に被災者という自覚はありませんでした。体験が生のまま残り続けている場合それは他者からは無視しているように、もしくは避けているように見えるでしょう。けれどその解釈はあまりにも見当違いです。被災者が自らを被災者だと自覚することは、自分の体験から客観的になるということ。ありきたりな言葉を使えば「整理がつく」ということです。ですが自分が母親から生まれてきて、産湯につかったことをあえて整理しないように、身に染み付き、経験することが当然だと思って受け入れた幼いころの体験は、生としてしか残りません。あえて言葉にするために整理をし、思い返し、距離を置くことは永遠にないのかもしれないのです。それは不自然でもなんでもなく、無理をしているわけでもなく、ただただ当然のことなのです。そのことを無視しているだとか避けているだとか解釈されることは「理解できない体験を無理に理解しようとして歪曲した」結果だと思います。歪曲してしまうことを個人的には乱暴だとは思いますけれど、そうしてしまう気持ちもよくわかります。経験していない側というのはきわめて弱い存在で、思いもよらないところで触れてはいけないところに触れてしまうことがあるのです。だから私は言ってあげたい、経験していないことも、理解できないことも、悪いことではありません。それも当然のことですし、理解しようとしなくてもいいのです。理解する以外にできることが沢山あるのです。第三者は第三者のままでも、「存在しない」ことにはならない。第三者のままでできることが沢山あるし、第三者には第三者の、居場所がきちんとあるのです。
   
最後に。私はこの経験を言葉にする時期を迎えていないため、きちんと作品にしたことはありません。作品に崩壊の描写があるからといって、それが体験によって現れたものではないことは明らかです。むしろ作品の崩壊の描写を、あの体験と結び付けられることは、つまりあの体験を作品にできる、と解釈されることは私にとって思いもよらないことで、驚くしかありませんでした。もし、わがままになってもいいのなら、それは、不愉快です。作者と作品が常に直結しているとは限らないのです。無理につなげていこうとすればどちらもが崩壊していきますし、そのとき私が守りたいのは作品です。だから表には出ないようしていきたいし、以前書いた作者と作品の距離の問題に戻るのです。