言葉に対する価値観の重さ軽さ

えーっと、きのうの夜にちょっとばかりtwitterでフィーバーしてしまいまして、詩についてなどで長々と語ってしまいました。高橋源一郎さんのツイートがきっかけだったのですが、フィーバーしすぎて、今見直したら私のついったー画面が長文連投と、返信でめちゃくちゃに……。もし読んでみたい、と思った方は、紳士id:murashitさんが高橋さんのつぶやきと私のあうあうあーをとぅぎゃってくださったので、そちらからご覧になってから、私のTLをさかのぼるとわかりやすいかもしれません。

ここでも私のつぶやきはまとめようかと思っています。あ、でも高橋さんのついーとを読んでからのほうが絶対いいのでとぅぎゃったーから見ることをアツクおすすめします。
  

最果タヒは高橋さん@takagengen の言葉にちょっと傷ついたなう☆内か外かどっちか見なければならないのだろうか、私は空洞を見てきたし、これからも空洞しかないけど。私はネットの言葉を使ってきた。詩人と呼ばれると違和感があるけど、ネット世代と呼ばれることにはなんら違和感はない
posted at 00:54:37
   
もともと私はネットから出てきた詩書きだし、ネットの言葉をつかうのは当然だ。ネットは無責任であることを許容する場所だから、目的や目標がなくても、文章が書ける、完成すらしなくていい。そうした場所で、人は意味にがんじがらめの言葉から解放されて、意味がつく以前の原始的な言葉に出会える。
posted at 00:57:54
   
だれかに読ませるという責任から解放された無責任な言葉は、問題も生むだろうけれど、人の意識が表現される前は混沌としているのと同じくして、言葉たちも混沌に戻って行く。そして、生のままの意識の中を泳げるのはそうした言葉じゃないのだろうか。だから私は「詩は偶然できるもの」と書いたんだ。
posted at 01:00:45
   
別冊少年マガジンの再来月に出る号にのる「くるーん!」の詩も、自由だったよ。私はいまの人間だから、いまの言葉だよ。なにも見てないから、内でも外でもないけれど、それそのものがネットの言葉だと思ってる。
posted at 01:09:34
   
なにかを伝えたいなんて思ったことない。理解も求めてない。絶望もしないし、幸せを与えるつもりもない。なぜ書くの?ではなくなぜ書かないの?生まれたときにもう書くための用意が施されている世界なのに。思考回路に一つも言葉がない人なんていない。
posted at 01:11:21
   
そうだよ、思考回路に一つも言葉がない人なんていないんだよ。それだけで、十分じゃないのかといつも思う。
posted at 01:12:54
  
本当にかなしい……
posted at 01:14:28
  
私は論外なの?なにも見てないし、いまの生きている人が話す言葉ではなくネットの言葉だし、論外かどうかは置いておくとしても、ネットも空洞であることも、文学にとっては除外されて問題ない存在なんだろう、そう思うとかなしすぎる。私は詩人になりたいわけじゃない、でも、でも私は言葉を使う人間だ
posted at 01:18:30
   
まあでも私はこのままですけど、かなしいのは一時的なものだし、どうしよーもない。猫かってたらこの今も幸せだろうかにゃーん。
posted at 01:25:03
   
あ、だからって戦うとかそういうのはしないから!現代っ子はめんどくさがりやなのさ!なんかかなしいわーって言って終わり。公園のすみで石をつみあげながら、公園開催の野球試合をながめているような、距離をかんじる。
posted at 01:30:05
   
たれぱんだに布をかぶせるとアラブたれになるよ!「石油を買え!」ってずっと言ってる!……てことを投稿したいんだけど、空気ぶちこわさないかな?かな?
posted at 01:41:19
   
やりとりっていうか私が一人でかなしんでぶぉうぶおう言ってたら高橋さんが優しさを発揮してくださって私がまた一人で恐縮しただけ…RT @murashit: こんなことに時間を費してしまったみなさんは.@takagengen と .@tt_ss のお二方のやりとりを読むといいと思います
posted at 01:47:45
   
いつもね、他人のインタビューとか見てると、わからなくなるよ。みんな語る「言葉」や「文学」が重いんだもの。「自己」にたいしてもとても重い。私は一人の書き手として、自分だけ違う生き物であるような孤立感をいだくし、そうした重さが絶賛されるのを見ると、強制的な劣等感でしずむ。
posted at 01:56:54
    
昔からそうだった。私は一般的な子供で、絶望したことがなかった。だからこそ「あんたなんかにわからないわよ」的、不幸側の言葉が怖かった。なにも言えなくなるし、なにもできなくなる。このこととなんらかわらない、軽さは重さに対して、強くなれないし、だからといってかなしむことも傲慢とされる。
posted at 02:00:10
   
なにも考えないことが、悪いことだとされる。ただ言葉があって、意識が私の場合言葉でみちていた。だから書いた、それが覚悟のなさとして扱われる。がんばってないと思われる。みんな子供に戻ろうとしたことがあるんだろうか、使えば使うほど、意識せよと囁いてくる言葉の声から逃げることができるのか
posted at 02:03:34
  
わたしはその囁きから逃れるのに3年かかりました。
posted at 02:04:14
  
別に重いことはいいことだよ、どんどん重くなって地底人をみつけてほしい。軽さを認めてほしいとも思うけど、いや、やっぱりいいや。最終的に私がかなしむのやめたら全部まるく収まるんだよね。勝手に空がとべるようになれるようがんばっとく。
posted at 02:07:55
  
私がかなしむのやめて一人でがんばってたらいいんだという結論に達しました。よく考えたら認められたいわけでもないし、自分の中で解決されたらよかったんだ。あ、で、勝手にへんな方向に目印もなくずんずん進むということなので、せめて読んでくれる人がいたら道が明るくなると思います。ありがとう。
posted at 02:11:05
  
だから私は人間の書き手より星野しずるの気持ちのほうがわかるし共感するんです。RT @tt_ss: 人間の書き手より星野しずるの気持ちのほうがわかるし共感するけど私の血は赤いぜ!
posted at 02:16:43
  
フォロワー増えすぎだ!あれですね、高橋さんにかみつく謎の若者ですよね、私。いや、かみついてはないよ!
posted at 02:32:57
  
ひとりごとは、会話より豊かだと思う。意味から解放された言葉が、混沌としたままの意識の中を泳げる言葉が、住める場所だと思う。はなうたとか。そういうのを言うのはいいけど書いたらいかん、ってことはないから私は書くよ。ついったーは私にとってだからシンクロ率200。それが私の詩だ。
posted at 02:42:00
  
(次のツイートは、@anim_kさんのツイートの引用です)
RT @anim_k: 私はもの書く人ではないけれど、最果タヒ @tt_ssの書いていることはすごくわかる。なぜすべての言葉が意味と作者に回収されないといけないのか、だってだいたい誰でも使えるものじゃないか。文学でまで、発信元の人間のにおいを感じたりしないといけないのか?
posted at 03:30:39
  
うん、私は覆面作家であるように、もともと作者の存在は作品にとって不必要なものという考えでいます。作者の近影やプロフィールの存在意義がわからなかった。いまではそれが、作品を介して作者とコミュニケートすることが鑑賞だと思っている人が多いからだと理解したけれど、共感はできないままです。
posted at 03:34:04
   
人は、人に興味があるんです。作品を見ているあいだもその向こうにいる作者を見ようとしている。それは本能だろうし、自然なことなんだろう。でも私は自分に関してはそうであってほしくない。だからできる限り作品のために隠れていたいと思ったわけです。
posted at 03:36:26
   
そっか、@anim_k さんのつぶやきで気づいたけれど、そういう作者と作品の距離感と、言葉に対する価値観の重さと軽さって、本質は同じなのかも。
posted at 03:38:12
  
書き手も作品を介してコミュニケートしようと本能的にしているから、どんどん重みが増していくのかな。私はどっちかというと、作品がコミュニケートしにいくのを見送る親の気持ちなので、動機とかは自分で決めなさいって作品に言ってるかんじだ。
posted at 03:42:19
   
できあがった時点で、私が考えなくてもすべて揃っている。私の書いた作品は書いているあいだの無意識の働きそのものを文字に写像したようなものだ。だから、読んだときに、だれかに会ったように思われるのが詩が一番機能してるといえる。人が思ったなにかや、考えたなにかではなく、人自身が伝わる。
posted at 03:48:48
   
初対面の人に会うとき、事前情報なんてなくても、会えば、あえてよかったと思える。お見合いの仲人みたいに、横から紹介されるより、なにも知らない方がいい。そんな気持ちがあるので、私はなるべく私のみたいな作品は作者と切り離すべきと考えています。
posted at 03:51:42
   
人自身が伝わるとか、そういうのは特殊なので、私以外の方にたいしてはとくに思ったりはないです。逆に作者が作品をぐいーんとするのもうまくやるとおもしろい。わたしはサリンジャーの姿勢が好きだけど。(でもサリンジャーほどにはできない!ネットが!ある!から!)
posted at 03:54:19
   
とにかく、「何かを書く」ということが「書く」の大前提になってしまっているんだな。書かれたそのものだけでなく、「何が書かれた」のか「何が書かれようとした」のかも当たり前のように巻き込もうとする。でもそれはすでに「書く」を狭めてしまっている。書かれた言葉よりも書く行為が優先されている
posted at 17:00:04