音楽ばかりに埋め尽くされて、耳だけになりそうだ。

今日はじょんれのんさんを尊敬したのだけれど、偶然にも今日が命日らしくて、命日なんだーと思った。いくらわたしでもじょんれのんが暗殺されたことは知っている。冬だったとは知らなかったが。さみしい季節に思えますね。ごはんがおいしい季節でもありますが。
  
うたださんのライブに、小学生のころだったか、行きたくって、でもチケットとれなくて、いっしょうけんめい電話したけれど、とれなくって、会場までつれていってもらって、大阪城ホールの前でぼうっと立って、お土産買って満足して帰った思い出がある。あのころ気付かなかったけれど、あんまりうたださんと年かわらないのね。私ぐらいのひとで、今になって「え?うたださんってそんなに若いの?!」ってなる人多いと思う。むかしは3つ4つの違いって大きかったんだけれど、今になるとあんまかわらないなー。
以前に、うただひかるの才能の健康さは偉大、ってついったーに書いたことがあって、今回もまさしくだったなあ。今回のライブ、うたださんは壮大に終わるわけでもなく、感傷的に終わるわけでもなく、ぽんと背中を押してくれるような曲を最後にもってくるところがらしかった。「明日もがんばろうぜ!」って言って終わるところとか。たぶん本人にとって音楽が日常に溶け込んでいて、いちばん自然なものだからだろうね。音楽を神聖視したり、音楽で世界と戦っていこう、音楽で未来をかえよう、っていうスタイルも素敵だし、とても大変だろうけれど、うたださんのスタイルも素敵だ。そして、私が思っている以上に自然であり続けることは大変だろうなと思った。しかし「そんなこたあ気にすんなよ!」って言われそうだから気にしないでおこうと思う。(以上ついったーより)
うたださんのことの場合、深く考えるのはぎゃくに野暮ってもんだよ!って感じな気がした。