1の並ぶ日

感情というのはなによりも、不確かで、なんの判断基準にもならないと思っている。過去や関係性などどうだっていいことだ、ただ、よいものを書いていて、それを自覚していない人には、「よいんだよ」と教えたくなる。あんまり人自体に関心がないのかもしれない。
   
以前占いか人格診断かなにかで、他者への関心が希薄と出て、まったくそのとおりすぎて笑ったのだけれど、どうしようもない。他者に対して興味がわくときは、自己に対して退屈しているときじゃないかと、本気で思っている節がある。同じようなひとを作品に登場させたらいつだって世界のバランスで、そうじゃないよ、と教える第三者が現れて、わたしはとても憎む。
   
ミュージシャンや作家がだれかと話していて、自分の考え方などを述べているとき、第三者に反論を言われたときの動じなさが、とてつもないショックを与える、というか、自分はあの不動なかんじがないのかもしれないと思う。どれぐらい頑固だと言われても、本人は自分のことを、惑ってばかりと思っているのだ。どこにも確かさがなくて、自分がいない気がする。本当はいないのだけれど。いないと思っているのだけれど。ときどきだれかに話しかけられると自分という存在が突如出現して、だからその、不確かさにぎょっとするのかもしれない。自己愛がもっとあればいいのか。自分のことをもっと考えて意識したらいいのか。あんまり、存在している感じがしない。