未来と歴史は最強です 

それ町が最高に好きだ。
   
1月も半分がすぎてしまったけれど2010年がきていた自覚もなく2011年がきた自覚ももちろんなく、こんな中途半端な数値ならいっそ303000年とかのほうが信じやすいわ、とかおもう。私が14か13のときに2000ねんになったはずなので自我がめばえた時期の大半はこの2000年代であるはずだけれど、現実よりも歴史のほうがずいぶんと頭にとっては色濃く残っており、リアリティーがあるのは1500年とかなのであった。人生は歴史には決して勝てない、それは長さの面でも濃さの面でも登場人物の質と量どちらでもある。それと同様にして人生は無限に続く未来には決して勝てないのだった。
といっても私は歴史がきらいだったのだけれど。
歴史の本を読むのは好きだけれど、覚える意味がわからなかった。基本なんでも覚える意味がわからない。検索したり教科書を見れば、単語や年代などわかるのだから、そんなものをわざわざ頭に入れる時間があったら、あたらしい歴史の流れを知ったり、最新の論文でも読んだほうが役に立つのではないか。ちなみに英語なんてものは「翻訳と通訳を使え」という気持ちがどうしても捨てきれず、まったく本気で勉強できないのがつらい。いや、辞書があれば読解と筆記はできるのだけれど。逆に言えば辞書があるんだから覚えなくてもいいのではとか思う。過去の偉人たちが一語一語必死で訳してくれたのだから、それを最大限に利用するのが礼儀ではなかろうか(クールな顔)。翻訳こんにゃくが発明されればすべてはまるっと解決すると思いきや、翻訳こんにゃくが完成した瞬間にバベルの塔リローデッドが起きたらどうしようという心配で心底願うことが出来ません。こんにゃく研究所に落ちる雷、そして竜巻、洗濯機にこんにゃくをいれたかのごとく、すべてのこんにゃくは竜巻でつぶつぶに分裂されてしまうのだ。そして猫耳少女の「にゃー」という語尾が、こんにゃくの「にゃくー」に変わってしまうのだ。
何の話をしていたか忘れた。
電脳メガネやらが開発されたら、発言されたり記載されたりしているすべての単語を、インターネット検索にリンクしてくれたらいい。そしたらいちいち覚えなくても、調べなくても、自分の脳のかわりに外部が覚えてくれるので、理想的な未来である。それは合理的であるし、可能性の拡大だろう。そろそろ来るべきなのは世界とつながることで脳が拡張される時代であると思う。なんつってー。