道理が敗北する時

自分が死ぬとは少しも想像できないうちに書き終わりたい小説を書いてる。死と隣り合わせにあることを、だれもが意識しなければならないというのは傲慢だ。知らなかったのならば知らないままで、いることも可能なはずなのだ、それはある人から見れば「幸福」なことでもあるだろう。他者を傷つけることになるかもしれない、無遠慮なことをしでかすかもしれない。しかしつねに幸福は、暴力的なものなのだ、他のものと同じように。それを手放すか、胸に抱き続けるかは、その人がなにに重点を置くか、道理よりも優先するものはなにかで決まり、私はとりあえず、この無知を手放さないでいるあいだに作れるものは作っておきたいとおもう。