まどかマギカとエヴァンゲリヲン

軽度ネタバレ(6話のネタバレはしてないはず。一個セリフは出るけど)
   
昨日のブログ記事にもあるように、まどかにはいらだちを感じる。それはたぶん、エヴァのシンジを見ていると沸くいらだちと似たものだ。そうだとしたら、ほむほむはレイなんだろうか。マミさんもある意味でレイかもしれない。はじめに包帯まみれであらわれたレイ。でも、ここでシンジは傷だらけの少女のかわりに自分がエヴァに乗ることを選択するけれど、まどかは選択しない。シンジとレイは少年と少女だけれど、まどかとほむほむ(orマミ)は少女と少女だからだろう。物語において少年は少女の代わりにと立ち上がることが時にはあるけれど、少女は少女を弱者とは見ないからそうはならない。だから、まどかはだれかのためではなく自分のために立ち上がるしかない。そのためにまどか☆マギカには「願いを叶える」というメリットが付加されている。
   
一方で他人のために立ち上がるさやかは、ひとり少年みたいだ。自分より弱い上条のために立ち上がる。でも、シンジにとっての傷だらけのレイは、まったく見知らぬ少女だったわけで、この子の代わりにと立ち上がるのに打算なんてなかった。反射的なものだろう。さやかにとっての上条は、それとは違う。杏子やマミが忠告したのはその点だろう。さやかが強者として立ち上がり、弱者のために戦うのならば、上条は永遠に弱者でなければならない。6話で杏子が言ったとおり、上条の体を治してはいけなかったのだ。杏子の発言は少女として自分のために魔法少女になった人間としてはなんの矛盾もない。さやかは少女たちの中ではきわめて異質で、そして魔法少女のシステムともバランスが悪い。
シンジの場合、かれは「自分は男の子だから」という本質的なすりこみによって、レイを守った。けれどさやかにはそれさえもない。ただちょっと気が強い女の子、というだけだ。それなのに、上条を助けることができる、だから自分は強い、だから戦う、だからみんなを魔女から助けられる、と無理に自分を強者だと思い込もうとしている。けれど、上条を救ったのはさやかの力じゃない。奇跡の力だ。別にさやかが強かろうが弱かろうが関係がない。魔法少女になってすぐに死んでいても上条は助かったままだった。そして、さやかが強者にならなければならなかったその根拠である上条は、すでに弱者ではなくなっている。それならさやかはどうして強者でなければいけないのだろう?何の理由もなく強くいなければならない、少女に残るのはその事実だけじゃないのか。そこを「魔女からみんなを守れる」という大義名分で埋め合わせできるのだろうか?
  
自分のためではなく誰かのために戦うと言うのならば、圧倒的にその誰かよりも強いのだと、思い続けなければならない。そうでなければその人の盾になることは出来ない。さやかはすでにその根拠を、自らの願いで潰してしまった。