夢がすべてじゃないよ

pixivで今話題になっているマンガがあります。T京K芸大学マンガ科の学生さんが描いたマンガで、まあ、壮絶です。単純におもしろいマンガなので、お時間ある方はぜひ読んでいただきたいです。→「T京K芸大学マンガ学科一期生による大学四年間をマンガで棒に振る」
  
以下はちょっとこのマンガ(と、テレプシコーラ)のネタバレになるので、未読の方はご注意ください。
   
   
   
このマンガは簡単に言うと、マンガ家をめざす若者たち、恋愛対象でもあり成功者でもある山下さんと、彼女を前にして挫折するしかなかった主人公を中心とした物語で、半分ノンフィクション、半分フィクションのノリで描かれています。実際は主人公のモデルである作者の方もこの中に出てくる山下さんも、ちゃんとデビューできたといううわさがあるので、そのうわさの通りだったらいいなあ、と思うわけですが、まあ、実際最後のシーンにある山下さんによる主人公への叱責、そして罵倒は、作者が自分の姿をきちんと理解し、そしてそこからすでに成長していなければ描けないものであることは確かで、うわさがただのうわさであったとしても、別の形でいい結果がでたのだろうと思います。ただ、思うことはこの山下さんの最後のシーンのセリフ、「なんのために生きているの」は、それまで山下さんが主人公に投げかけた正論とはまったく違っていてあまりにも感情的な言葉ではありました。たぶん、作者が過去の自分を責めて書いたセリフだからこそ、こんな言葉選びになったのでしょう。けれどその裏事情をあえて無視し、山下さんというキャラクターが、主人公に述べた言葉だとして考えてみればこれは所詮「成功した側の傲慢さによって出た言葉」でしかありません。
   
あの言葉は夢の中にいる人の言葉です。夢を追わなければ生きている意味がない、と心から思っている人の。そこからはじき出された人や、そこから出て行かざるをえなかった人の気持ちなど加味していない、自分の視点から、他の可能性を考慮せずに自分の視点が正しいのだ、唯一なのだ、という傲慢さから出てしまった言葉です。もちろん、そう思っているからこそ山下さんは成功したわけですが、山下さんは才能の人(だと主人公には思われていますが)ではなく、努力の人であるわけですから、そうした盲目的な意見を他者にまで押し付けてしまうのはあまりに悲しいと思いました。夢を追うためじゃない生き方もたくさんあるのだということを山下さんは忘れてしまっています。昨日わたしはtwitterで、就職したら夢をあきらめる、というのが定説であるのはおかしい、と言いました。でも、それはそれがさも常識かのように言われているのがおかしい、というだけで、もちろんそれでもその選択をする人はいると思います。その人を非難する権利はだれにもありません。私が言いたかったのは「就職=時間切れ」ということを常識だと思い込んで、自分で判断することもしないまま、その常識に流されて決断してしまうことの虚しさと、常識だからというよくわからない根拠を掲げてそれを振り払い夢を追う人を笑うことの虚しさです。
話を元に戻します。山下さんの、夢を追わなきゃ生きている意味がない、と言いたげな言葉を読んでわたしは、マンガ・テレプシコーラを思い出しました。(ここからテレプシコーラのネタバレも入ります。未読の方は逃げてください)
   
  
  
夢を追わなければ生きている意味がない、からこそ、死んでしまった子がテレプシコーラにはいました。他にも生きる道はあったし、夢をあきらめてもがき苦しめば、いつか新たな夢が生まれるかもしれなかった。人生にはいろんな道があるんだってことを、だれも教えてあげられなかった。そんなことを思い出しました。