ファイト☆

他人に対してこれを強いるようなことは一切ないのだけれど、わたしは常に自分に対して「焦れ」とおもっている。もっと焦れ、もっとがんばれ、急げ、必死になれ、駆けろ、時間を費やせ、無駄をすごすな、焦れ、焦るんだ、どんなに速く走っても時間よりは速くなれない、だからせめて最速で走れと思っている。これは別に私ががんばり屋だとかそういうことではなくて、単にそう思うことが苦痛じゃないのだ。鈍感なのかもしれない。こんなのがいるから、がんばれって平気で言ってもいいってことになっているのかもしれない。ごめんね。でも私は基本的に他人ががんばっているかどうかはどうでもいい、がんばれとか言いたくならない、とにかく自分ががんばりたい。それだけ。いいや、それよりひどい、がんばらないと無になってしまいそうだ。がんばっていないとなにもない。時間は変化するのに自分は停止していることが、どうしてもきもちわるい。他人の場合は時間がすぎれば本人の内部がどうであろうと外見が変化するのが見られるし、だから他人にはがんばれと思わない。たぶん私も変化しているんだろう。けれど私にはそれが見えないし、鏡をみても、いつもみているから変化がわからず、だから私は内部を変化させなくちゃいけない。私にとっての私の変化は私ががんばらないと起きないし、そうじゃないと停止してしまう。それは私の生きるという定義をゆるがす、かもしれない。いやわからん。どうだろ。そこまでじゃないかも。わかんないけどとりあえずがんばる。