せめて冷静になりたい

東京にいました、当時。やっと帰ってこれました。
  
ただすべての人に生きていてほしい、けれど、すでに亡くなっている方がいて、信じたくない、でも安全なところにいる自分が現実から逃げるわけにはいかない。奇跡が起こってほしいと願っているときほど自分が無力だと情けなく思うことはない。せめてできることを考えて考えて、それでもできることが数えるほどしかわからない。正直にうちあければ、なにが被災者の助けになるのかがわからない。なにが正しいのかなんてわからなくて構わないけれど、どうすれば被災者を助けられるのか。思いつく限りの自分にできることをすべてした今でも、まだなにもできていない気がする。今このとき、たくさんのひとたちが助けを待っているのに、今このとき、なにもできていない。動きすぎれば悪い結果すらもまねくかもしれない。なんで直接瓦礫をかきわけることができないんだろう。なんで必要だとわかっていて、それなのにできないことがあるんだろう。冷静にならなきゃいけないのはわかっているのにどうしても、そう思ってしまう。どうしようもないことがあるって、それだけは認めたくない。
生々しいぐらい、発生時に東京で体験した5弱の二度の揺れを思い出す。あの瞬間東北で惨状が始まったのだ、私が受けたのは東北と比べてあまりにも軽い揺れであったけれど、その中心には東北の人たちがいたと後で知った。それから余震がおきるたびに、東北ではもっと強く揺れているのだろうと思った。人が傷ついていく様子に触れ続けているようで、東北がどんどんひどくなっていくことを肌で思い知った。そうした中で、どうしようもないよ、なんて思うことが出来ない。冷静さを保つことが出来ないでいた。でも、こんなことじゃだめなんだ。もっとちゃんと、冷静になって、できることをもっと探さなくちゃいけない。そう決めた。動揺や混乱は、私には必要ない。冷静に、やるべきことを探します。できるかぎりのことをします。情けのないことですが、ここでそう誓うことで、私は自分自身を律します。
   
これからも不安な日々が続くかと思います。みなさんお気をつけください。ご無事でいてください。