絶対わかりあえない、無理。

震災で本当に、日本の空気はかわったのだろうか。かわったという人はたくさんいる。人の気持ちとか、文化とか、3月のあの日を区切りに変化したと言う人はいる。わたしも、言われてみればとなんとなく思ってしまう。でも、思い出すのは1月のあの日のことで、神戸のあのときは私は神戸だけが変わってしまって、外部はまったく変わってないと思った。地震の翌日大阪や京都はあたりまえのように機能していたし、神戸からぼろぼろで出てきた私は、幼心にその、異世界みたいな平和に、不変さに、なんで神戸だけ、という孤独感があった。電気もとおらない、ガラスがあちこちでわれている、食べるものがない、着るものがない、寒い、余震が怖くて眠れない、たくさんの人が死んだってきく、あちこちで、タンカがゆきかう、でも、大阪は京都は、電車が通っていた、電気がついていた、あたたかかった、ごはんがあった、出勤している人だっていた。突然、京都や大阪の人たちの中で、お風呂に入ってなかった自分がくさいんじゃないか? って気になってくる。おふろなんて入れるわけがなかったし、神戸はみんな入れてなかったし、あたりまえみたいだったのに、急にそれがはずかしくなる。服もありものだからへんな組み合わせだ、恥ずかしくなってくる。自分がとてもみすぼらしい気がしてくるのだ。非常事態という空間から放り出された瞬間、まるで、自分だけが悪い夢を見ているような、自分だけがへんな落とし穴に落ちてしまったかのような、そんな疎外感があった。でもそれは私にはそう見えただけで、本当は大阪も京都も通常通りではなかったんだろうと思う。みんな必死で日常をつなぎ止めようとしていたんだと思う。10年以上たって、当時、外部の人たちが1.19前後の文化の変貌みたいなことを言ってたり、あの瞬間に日本は変わったとか人はかわったとか、言われていたんだとも知った。私の実感とまったく違う当時の姿がそこにはあった。私は私の目線でしか、物を見れていなかった。たとえその場にいたって、知らないことが多すぎた、何にも知らなかった。
結局、そのひとたちがどんなに優しかろうが賢かろうが、災害の当事者と外部の人間では見ているものも感じ取るものも違う。もちろん個人によっても違う。どちらが正しいとかそんなものはなくて、ただ、たとえどんな大きな災害であろうとも、そこで発生する「気持ち」を共有することは不可能だ。私は神戸の被災者だったけど、被災者であるからといって自分の発言に説得力をもたせたいわけじゃないし、だいたい被災者によっても見たものはちがう、思うことは違う。ただ、個人が思った事を普通に言って、他の人の思った事を普通に聞いて、いろいろな気持ちがあったんだってことをちゃんと知っておくことが大事だと思う。なにが正しいかとか、なにが真相だとか、そういうことではなくて。無言でわかりあうことは無理なんだから、話してもわかりあえるわけじゃないけど、話そう、って。