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 才能と凡庸が同居してやっと、天才になる。

音楽の人とかで、あきらかに今つくっているもののほうが、すごいのに、その人が若いころつくったものがいつまでも忘れられない、ってことはある。それはたいてい、私自身がその人の若いころの作品に青春時代触れているからで、聞けばその内容だけでなく、自分自身の過去をフラッシュバックするからだろう。それはとても主観的な話で、ここでしても無意味だ。
ただ、客観的に思うこともあり、それは、「この人は確かに今のほうがすごいけれど、この、今の状態でデビューしていたら、これほどまで支持者をえることができたのだろうか」ということ。「未熟なあのころにデビューしたからこそ、ここまで支持されているのではないだろうか」ということ。もちろん、今がすごいのだから、今デビューしても音楽好きには評価されただろう。けれど、音楽がすきでもなんともない女子高生がCDを買ったかと言えば微妙だし、ましてやそういう女子高生を音楽の渦にひきずりこんで、音楽マニアにすることはもっと無理だ。すごさだけで万人から支持を得られる時代じゃないことは、だれだって知っている。万人がふりむくのは、才能じゃなくて、共感なんだから。
若いころの悩みなんて、70億人が経験する。ぶっちゃけ、個性なんてどこにもないし、みんな同じだし、それがいやだっておもっちゃうところも、みんな一緒、みたいな。っていうかさ、若いころの悩みって、精神的なものじゃなくて生理現象じゃないか、って最近思うんだよね。で、才能がある人もそういう悩みの渦中にいて、未熟だけれどひっしでものを作って、だから、結局、才能は土台にあるけれど、絶対的な共感、若いころの悩み、っていうとてつもない凡庸さが、アンプみたいに才能を広範囲に撒き散らしているんだ。それができないと、才能は、伝わらない。凡庸さだけでは、伝わってもすぐに忘れ去られてしまう。才能と凡庸さがある人だけが、ちゃんと伝わって、それから、永遠に記憶に残り続けるんじゃないのかな。