明日死ぬかもしれないというあたりまえの指摘

毎日、何も進んでいないような気がしていて、そうでありながら、時間がどんどん減っていくのをひりひりと感じるとき、それが「いつか自分が死ぬから」「限りある人生だから」という理由であることなんてほとんどないのではないかと思う。たとえそうした理由を口にする人だって、もっと矮小で俗的な理由を、口にしたり意識したりするのが恐ろしいからそういっているだけではないかと思う。「みんなとどんどん差が出てしまう」だとか「まわりに軽蔑されてしまう」だとか、「自分はもっとできるはずなのに」だとか、そういう、ちっぽけであまりにも視野の狭い本音を隠したいがために、「限りある人生なのに」だとか言っているのではないだろうか。さいきんスティーブジョブスが亡くなって、彼が昔にしたスピーチが何度も何度も話題になっているけれど、「限りある人生だから」「明日死ぬかもしれないのだから」という考え方を、彼は本気で口にしていた。怠慢を否定するためではなく、躊躇を吹き飛ばすためにだ。結局、たくさんのひとがあせっているけれど、みんな本気で「明日死ぬかも」とか「限りある人生」とか、思うことはできていなくて、不死身のつもりでいるんだろう。