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経験だけがレベルアップの方法なんて、そんなのはゲームの中だけだ。

経験は上書き保存だ。経験を経たものはみな、「いろんなことをどんどん経験せよ」という。「無垢だった昔の自分」と「経験をつんだ今の自分」のどちらをも手にいれたかのように誇らしげに言う。けれど、それはうそだ。それが本当なら子供の無垢な絵や言葉がもてはやされるわけがない。結局彼らは無垢な自分を犠牲にして、今の自分を得ている。経験は上書き保存であり、経験する以前の自分を手に入れることはできない。得るばかりで何も失わないなんて言う、そんなうまい話があるわけないんだ。
そんなことからも目をそらして、経験を賛美する人たちは、自分が得たことには敏感だが、結局失ったものに対して鈍感なのだろう。私は、別に経験することが悪いとは思わない。いいとも思わない。そんな黒か白かみたいにはっきり評価できちゃうものなんてどこにもないって思っているんだ。
   
ガラスの仮面を君は読んだことがあるか。
女優を目指す主人公の永遠のライバルとして登場する姫川亜弓は努力の人である。恵まれた家と、そして美貌を手にしていながら、それに頼らず、そしてなによりも、圧倒的な天才である主人公に勝つために、努力をし続ける人だった。彼女は過去に演技について「恋愛を知らないから恋愛の演技ができない」と言われたことがある。もちろんそれならば一度恋をしてみよう、と思うのが普通の考え方だろう。けれど、彼女は周囲にいた適当な男性に声をかけ、自分はまーったく彼に興味はなかったが、自分に恋をさせたのだ。そして自分に恋している男性の様子を観察し、それを演技に取り入れた。彼女は経験ではなく観察を選んだ。
恋愛をしている人間はどこにでもいる、物語にも何度だって出てくるし、観察する対象には困らない。けれど、もしも姫川亜弓が自分で恋をしたなら、「演技だけをやりつづけ、ほとんど趣味や恋愛に時間を費やさない若手女優」というキャラクターはそこで失われてしまう。そして、そんなキャラクターを再び手に入れるためにはいったいどこのだれを観察すればいいのだろう? 彼女は「演技に生きる若手女優」というキャラクターを保持したまま、観察することで「恋をする人」というキャラクターを手に入れたのだ。
     
経験は、成長は、いつだってすばらしいだろうか。成長の中には、衰退も、老いも含まれている。生まれてから死ぬまですべては成長だ。つまり死に近づくことも、きみのつやつやな肌が、死体みたいになるその過程も「成長」という言葉でくくられるのだ。さて、成長はいつだってすばらしいだろうか。すばらしいと思うか? 
成長という概念に盲目的ではいけないし、人は変わらなければいけないとどうしても思ってしまうが、変わってしまった後で元に戻ることができない、不可逆的な成長は山ほどあるんだってことを、忘れてはいけない。経験がすべてなら、人間はだれしも死ぬ前が最高であるはずだ。けれど、子供の言葉や絵は魅力的だ。どうしてだろうね。どうしてだろう。結局、成長っていうのは、選択肢にずっと「YES」で答えていくようなものだ。あなたは肌を劣化させますか?という問いにまで、YESと言っている状態に過ぎない。NOだって選べるんだってことを知らずに、YESと言い続けることは、まちがいじゃないのかな。まあ、まちがいかどうかは私にはわからないけれど、とにかく、第三者的に見ても、すっごく間抜けなことだよね。なんでもかんでも成長したら、経験したらいいっていうのは、まぬけだよ。得ることは簡単だ、失ったものを取り戻すことに比べたらね。
   
  
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