ネット!ネット!ネット!

現実の友達と繋がる為にネットを使う層と、現実と完全に切り離したネット用人格を隠し持つ層は、前者は後者を「現実がダメダメだからネットに逃げているだけ」と言うし、後者は前者を「ネットという新しい世界があるのにそこで新しい自分を一から作ろうともせず、現実世界の自分をトレースするだけで満足して、自分の世界を自ら狭めてる」というから永遠に分かり合えない。
   
2年前のブログ記事がいまなぜか再熱していて、おもしろいなあ、と思っている。おもにネットという場所における情報の保存のよさについて。
あの記事(「何の役に立つんですか?」の暴力性 という記事)は、この2年間タンブラやツイッターはてブでいろいろ拡散されていたらしいんですけれども、そのたびにその記事は「生のもの」として扱われていたのが新鮮だった。なんというか、ネットにおける記事の新鮮さとは「書いたばかり」であることではなく、「たくさんの人に拡散されたばかり」なことなのかもしれないな。
ネットはある意味「情報の新鮮さ」がすごく重要な媒体で、リアルタイム性がすべての価値を決めるともいえるんだけれど、一方でそのリアルタイム性は、ネット以外でのリアルタイム性とはまたちょっと違うような気がする。たとえば、昔はマンガ雑誌を発売日に読んでおかないと、人気のテレビを放送されたときに見ていないと、翌日のみんなとの会話についていけない、なんてことがあった。なんていうか情報の新鮮さは、その情報が公開されたその時期に左右されるものだった。でも、ネットは、情報が公開された時期ではなくて、第三者に注目された時期に左右されているような気がする。いつ投稿された記事であろうが、みんなが注目した時期が、その記事が一番新鮮でアツい時期、というかんじ。
ネットの時間の流れが、受け手の周囲や環境によって異なっているのかもしれない。たとえば、ツイッターで昔流行ったネットの小ネタがまるで新しいかのように拡散されている時とか、まさにこのかんじだった。古いはずのネタを、まだ知らなかった人たちの間では、そのネタが今、拡散されていて、だから、今、そのネタは新しい。時間軸が全人類共有のものではなくて、集団や個人によってまったく別のものになっているのがネットなのかもしれないなー。
   
原稿やる。