デスです。

「いやよいやよも好きのうち」が通るというなら「好きよ好きよも死ねのうち」も通ることになるけど、そのあたりの覚悟はおありで?
   
なんで死ぬのかなという純粋な疑問。
いろんなひとがそれぞれ、「あの人は天才だ、死んでほしくない」と思ったり、「あの子が大好き、死んでほしくない」と思ったり。そうやって人類の中でも特別な誰かに「生きていてほしい」と願っている。それはたしかに悪く言えば贔屓だし、不平等だけれど、べつに、悪いことではない。特別でない人がどうでもいいというわけではないのだから。ただ、特別にいちばん、死んでほしくないと思う相手が、それぞれにいるのだ。そして、みんなが「死んでほしくない」と思う相手は当然、人によって違っていて、一致しない、バラバラだ。そしてだからこそ平等に、全員死ぬんだってこと。
死はすべての人間に平等に与えられると、人は言う。まるで健全なことのように。けれど、だれかひとりを特別扱いすることができないからって、全員を死なせる必要はなかったのではないだろうか。ただ、全員を生かせればいいだけじゃないかと思うのだ。そういうことも無視して、あたりまえのように、「命はみんなに平等」というかのように、死は平等だということは、とても、気持ちが悪いね。
   
いつのまにか、死ぬということに対して、だれもが死ぬということに対して、納得してしまっている、受け入れてしまっている。これが、人間の一番の欠陥であると思う。