「好き」の優先順位

わたしおべべ買うの好きなんだけれど、好き嫌いが激しすぎて、一回ZOZOにあるすべてのワンピースを見たことがある。そのときすきっぽい服を作っているブランドが2つぐらいあって、それを追いかけたりするようになったけれど、だからといって手放しでそのブランドが好きかと言えばそうでもなくて、あんまりぴんとこない服がほとんどで。だから、おしゃれなかんじに、好きなブランドはどこどことかいえなくて、さみしい。女子っぽくない。なんか傾倒してしまいたいよね。ブランドのロゴだけのエコバッグとかもって、これかわいいでしょーとか、意味分かんないこと言いたいよね。ほんといみわかんないよね。ロゴだし、それなら紙袋でよくない?とかおもうよね。ロゴがおそろしくかわいくて、正直服のデザインがそれに勝ててない、ってパターンもあるけど、稀。だいたいは盲目的よね。
   
で、それがわるいことかといえば逆で、きほんてきに、「このブランドだいすき」って言って、紙袋とか変わらないようなデザインのエコバッグとか、どう考えてもユニクロにあるだろ的な無地のシャツとかまで買う人(たしかに形がきれいとかはあるけれど、それならもっとちゃんとした専門店で買ったほうがいい)とか、わたしアイスが好きなのと言って、アイスばっかり食べ続ける人とか、いつだってなんかすごい腕の美容師におまかせで髪を切ってもらうとか、どんな駄作だって好きなアーティストの曲はぜんぶ誉め称えてしまうとか、そういう盲目なところが人間としてのかわいさだったりするの。だから実は、全身同じブランドでかためて、ぜんぜんオシャレじゃないって、周りにひそひそいわれたりしているような女の子とか、別にかっこよくもないロゴのバッグを誇り高く愛用している女の子とか、私、凄く好きだし、そんな子たちが、いっしょうけんめい暮らしていくことができるならこの街はわるくないかも、と思う。だって「好き」が彼女達の優先順位の一番にあるんだもの。それってすごいこと。「オシャレ」だとか「かっこいい」だとか「新しい」だとか第三者が勝手に決める評価軸より自分の嬉しくなれる気持ちを大事にしてしまえる。みんなみんな、うるさいのにね。強いよ。
けっきょくひとは、自分の「好き」をどこまで優先できるかが魅力に関わってくるのだと思う。だいたいそれは他人にとって、不都合だったり変だったり迷惑だったりするけど、そういうふうにおもってくるひとは、そもそも自分を大切にも幸せにもしてくれないから、放っておけばいいし。むしろ、そういうところをちゃんと「かわいいね」「好きだよ」って受け止めてくれる人が、かれらはちゃんと見つけられるから、かれらはきっと不幸になんてならないし、しあわせになるんだろう。あと、周りも、しあわせにできるんだろうね。