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さんざんなサンバを3時に!

将来への不安がときどき燃え盛ってサンバを始めるので、お仕事をください。エッセイ、詩、小説、その他のなんか。お仕事くださいサンバを覚えるしかもはや道はないのか。
くだらないことを言っている時ほど人はなぜ、安心をするんだろう、と思います。こんな話をしていて自分は大丈夫なのだろうか、時間がすり減る、寿命がすり減る、私は本当にサンバなんかで冗談が言いたかったのか? その場のノリで言ってしまっただけじゃないのか? とか思うわけですが、まあそんなこといいじゃない、なんとかなるじゃないHAHAHA、未来を忘れることが未来をハッピーにするヒントなんでしょうか。すごい頭悪そうな結論ですね。
 
スプラトゥーン、おもしろそうですよね。(もうすぐ出るらしい、絵の具を水鉄砲で町中にまきちらして、自分の色がついたところを通っていけるゲームです。たぶん。)ゲームのアイデアって本当に面白いです。人に読まれるものを作っていくことは、もちろん読み手の心理を刺激していくことなので、そこへの意識が重要になってくるのですが(媚びるとかそういうものではなく、どこまで俯瞰で客観しているかという問題)、ゲームの場合は、「受け手がどう思うか」だけでなく「受け手がどうするか」もコントロールしていくからおもしろい。そう書きながら、ああこんなことどうせいろんなひとがいろんな場所で、「みなさんもご存知でしょうが」という前置きとともに語っているんだろうな……などと気付いていました。静かに目を閉じ、ココアを飲んでいたい気分です。行動を設計するって、なんでしょう、人類のコミュニケーションの最終形態、ラスボスな気がして、自然と悪者にみえてくるのですが、それを娯楽に昇華しているからこそゲームは尊いのだろうな。才能と努力を「楽しませる」ことに注ぎ込んでいる人はいつだって眩しいのです。(などと言って話を終わらせます)
 
もう台風が来る季節になってしまった。不安なんて生きている限りはあって当たり前なのだけれど、そうやって割り切っていたらたぶん死んでも気づけなくなるよ。かといってどのようにすれば編集さんは私に仕事をくれるだろうか、なんて行動設計を考えたってゲームクリエイターでもないかぎりは無駄なんだ。私はもはや書きつづけるしかないし、その単純さはむしろラッキーにも思えてくる。(ラッキーに思えないなら、この仕事は辞めたほうがいいのだろう)
 
じゃ、また。
(あ、別に仕事がないわけじゃないんだよアピールのために書いておきますと、6月9日発売の別マガで、連載小説「ぼくらは殺意日和」はじまります。挿絵ははっとりみつるさんです!)