夢じゃない、欲望だ。ぜんぶ。

むかし、すごくほしい机(想像上の)があって、たぶん30回ぐらいその設計図を描いていたと思う。いまだってほしいし、あったらぜったいたのしいし便利なのがまた小憎たらしいものだ。子供の想像力とは結局欲望に結びついていて、その欲望にリミッターがないから、大人は「夢」とか言い表すのだろうなあ。夢じゃないのだ、彼らにとっては欲望なのだ。空を飛びたい!ぬいぐるみの背中に乗って世界中を歩きたい!アイスクリームの生える木がほしい!欲望を夢ってことにしていくのが大人になるってことであり、やりたいことをやりたいと言えなくなるのが社会っていう場所であり、つまり子供は夢が大きいのではなく、ただただ素直で怖いもの知らずだということだろう。私だってアイスクリームの生える木は、ほしいよ。ぬいぐるみの背中に乗りたいよ、空を飛びたい!心底そう願っていたいし、意地でも、子どもの頃考えていた机はいつか作って、部屋に置く!日曜大工マスターに俺はなる!(きっと小さなころの私は、大人の私にそれを期待していたはずだ)
  
子供は本当に非現実的なんだろうか。だって、彼らの欲望は地に足がついている。別にうどんをおっさんに変身させる魔法が欲しいなんて言っていないのだし、彼らの欲望はちゃんと、彼らの「生活」「好物」「人生」にからんでいる。リアルだ。その子の好みとかを知っていれば、なんでそんなものがほしいの、とはあんまり思わない。(私が意味不明な子供に出会ったことがないだけかもしれないけど。)単純に、不可能の文字がないだけで、ナポレオンなだけである。ナポレオンボーイアンドガール。めちゃくちゃかっこいいよな。子供。違うのかな。でもあんまり異次元にいるなあ、って子は見ないなあ。
  
そういえば、AAで詩を書いたりしたのですけれど(Web Designing6月号/詩句ハック参照)、AAってなんか、レトロフューチャー感ありますね。ピエールカルダンのワンピースみたい。ネットじゃなくて、インターネット、って感じ。あったかもしれない未来、って感じがします。いや、あったんですけど、実際に。感覚としてね。以上、ただの感想でした。じゃ。