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イタリアはどこだ!

急にイタリアンスパゲッティが食べたくなる。それなのに、ふつうのイタリアンが見つからなくて右往左往することがある。和風でも創作でもカフェ飯でもなく、私はいまニンニクと唐辛子とトマトソースをざっとからめたおいしいパスタが食べたいんだ!見つけたイタリア料理店のサイトで、料理写真を見ながら「甲羅かぶっておどけて見せられても困るんやで…ガーリック入ってんのか、きみ…」とオシャレカニパスタに話しかけている私はまさにパスタ難民。おしゃれじゃなくて、ただただおいしいイタリアンが食べたいよう…イタリアン…ていうかもうイタリアに行きたい…タダで…。と満たされない欲望はただただ膨らんでいくしかない。(それは人類の業である)
  
普遍的なものを愛することは、生活という場においては決してぶれない芯としてある。どんなに光り輝いたり歌ったりする洗濯機より、しずかにきれいに洗ってくれる洗濯機がぼくらは好き。食べ物も同じ。結局は食べたいものを、食べたい時に、できるだけおいしく食べたいな。で、じゃあ、娯楽はどうなんだろう。物語には、分かりきった王道をたどり、わかっていた結末をガツンと迎える快感もあるのだ、確かに。異常性と、センスオブワンダーは違う。驚きと喜びは一致しないほうが大半だ。ヒーローは必ず勝つ、ハッピーエンドが待っている!そうわかっていても楽しめた映画や小説がたくさんある。意外と普遍であるかどうかは楽しさには関係ないのかもね、なんて思うことが多い。
で、どこまでも普遍的だったり王道だったりする道でも、極めるには教科書的な技術じゃ全然足りなかったりする。ああ普遍だってそうなのねと思うと、途方もなさを感じるね。でもまあ、とことん脳で戦う場がそこらじゅうに用意されているというのは、世界の長所かもしれないねえ。(そんな世界への愛に満ちたコメントで記事を締めちゃう2015年夏)