WHAT? HOW!

純粋な疑問なんですが、このブログで書いているような文章っておもしろいんでしょうか? 私はブログは(というか公開する文章すべて)読んでもらう価値がないとだめだ、となんとなく思っていて、でもどこまでなら気を抜いても「それがむしろ味」になるんだ? とも思っていて、あくまで雑文だけど公開、そんな感じで書いています。がつがつ原稿として書く場合は、本当に価値があるのか云々で、気を張りっぱなしですし、基本的に詩人として依頼がくるので、まさかここに書いているようなイタリアどこやねんパスタどこやねんみたいな文章は相手も想定していないだろうと決めつけて、気を張り続けていますが、ここの文章ってどうなんでしょうね、面白いんでしょうかね。いつかここみたいな文章を仕事として書いてくださいって言われたら嬉しいんですけど、どうだろうなあ。(意訳:仕事ください(注:「ここみたいな文章」じゃない仕事ももちろん大募集中です(こういうことはしつこくアピールしていく所存on the earth)))
   
言葉は書くからには遊びというか、前書いたような「センスオブワンダー」がちょっとでもできたらなあ、と思っています。そうじゃないと私が楽しくないのです。「何を書くか」の部分のワンダーではなくて、「どう書くか」の部分のワンダー。つまりどんな、珍しくてワクワクしてあたらしいお話を書くか、ではなく、つまんないただの独り言をワクワクするような言葉で楽しんで書けるか、という部分で。大竹さんのラジオでも話したけれど、私がインターネットしたころって、発信者は「選ばれし者」だったわけです。特殊な状況や特技がある人が、それについて発信している場所。なんの経験も特技もない自分が、日常を書く意味なんてない、とおもっていて、だからこそ「何を書くか」ではなく、「どう書くか」で楽しむように自然となっていった。今だって、それは変わりありません。別に植物の話も子供の欲望の話も、したくなかったんですよ。なんにも書くつもりはない状態で、あーだるいな、どうしよっかな、と思いながらページを開いて、そのときふと思いついた1行目をぺっと書いて、これでいいやーと思いながら書きすすめるうちになにかがはじける感覚が大好き。兄弟も友達もおもちゃもない状態で、子供があたらしい遊びを思いつく感覚に似ているのかもしれないです。書きたい内容がない分、言葉で楽しむのが最高に好きになった。言葉がだだっぴろいなにもない場所を跳ね回っている。そして、これはブログだけの話じゃなくて、詩とかもまさにそうだと思う。ブログが特殊なのは、もう少しだけ、読んでくれる人の感覚を無視しているのだと思います。いまさら、他の人が読んでも面白いのだろうかということを心配したりするのもそれで、ただ一人遊びしている感覚に近いのです。本当の意味で相手が楽しんでいるかを気にすると、イタリアン探しの話やアイスクリームの生える木なんて言ってられないですもんね。ということでもうちょっとは今のままで続ける所存on the earth。