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世界は舞台ではなく共演者でしかないとかいう謎の仮説

しまった更新が止まってしまった!しまった!
   
どうして歴史小説や歴史漫画を読むと、信じてしまうのだろう。事実がもとになって描かれているからだろうか。歴史の最終地点が神話と混ざり合っているのもおもしろいなあ。普通に現在から遡って歴史として描かれているのに、過去にだんだんと神や精霊が現れたりする。こういうのは現在の「社会」に対するかなり理論的な視点よりもずっと、自然だと思う。結局ひとは自分たちが把握しきれないものを潰して、そこに人工の秩序を置くことで、「理解」をしていったけれど、それができなかった以前は、理解ではなくある種の「想像」がかなり幅を利かせていて、それは人が人を見る場合には基本となっている視点じゃないかとおもうのです。ほら、人がいるじゃないですか、自分以外の人が。それを100%理解して、ロボットを操作するようにコミュニケーションする人はいなくて、だれもがあたりまえのように、相手に「心」という不確かで、ある種幽霊のような存在が、あるのだと確信している。それは自然や世界に神や精霊が宿っているのだと信じていた昔の人と、とても似通っていると思う。つまり、昔の人にとって、世界もまた尊重するべき「個人」であり、服従させすべてを理解しコントロールするための相手ではなく、コミュニケーションの相手だったとすれば、人にとって当時、世界は舞台ではなく、自分たちと同じうごめく「共演者」でしかなったのだろうとおもう。世界の中でうごめく自分たちを想像するなんて、すっごく視野が狭いのであろうなあ。世界と仲良くしましょう。ときに殴りましょう。なんてね。(以上、思いつきでしゃべりました)