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厭世家インサマー

この夏は連載が二つ始まったり、詩でもとてもうれしい(私が)お知らせができたりするはずで、だから私を愛しのコタツから引き裂くこの暑ささえ我慢できそうな気がする。台風や梅雨がくるまえの夏の序章みたいなこの時期は、人の手肌がずっとまとわりつくような中途半端な暑さがあり、あくまで攻撃的な猛暑、しかも日差し付きのそれよりずっと煩わしいのだ。個人的感情を伏せてまで空虚な正論で戦おうとする中学生の発言みたいに、なんかすごくべとべとするしめんどくさい。(この発言は主に、当該時期の私にぶつけられています)
 
まあそんなこんなで。どうして暑い国のごはんって、何重にも味に人格があるの、とか意味のわからない話を始めてみますよ。(ネタがないのだ)ものすごく甘い食べ物に、辛いチリソースがついていたり、酸っぱいスープに辛いソースがついていたり。なんなのか、辛くしたかったのならなぜそもそも元の料理は甘いのか。最後のスパイス係と料理人が別人だとしか思えないことが多い。私の舌の味蕾のどいつに主張をしたかったのだろう、謎である。(ここでどうでもいい話ではありますが(そしてもしかしたらみんなご存知なのかもですが)、味覚は舌の場所によって感じ取れる味が変わるそうです。甘みは舌先、とか)辛味はただの味覚とはことなり、実は単純に痛みでしかないそうなので、いろんな味を展開させ、まあ口の中が収拾がつかなくなったところでとりあえず最後は辛味で殴ってスッキリさせておこう、みたいなテンションなのかもしれないですね。私は、辛味がたとえ痛みだとしても、それはそれで快感あり得ると思っています。基本、人は外に出たり人に会ったりすると50%は傷ついたりするわけで(そんなわけないという発言は私を傷つけるのでやめよう!)、それでも接触しようとしたりするのだから、もともと傷つくのちょっと好きだったりするだろ、おい、とか思っていたりするのです。(私、クールな厭世家。)たとえば、恋したがる子とかそんなかんじだとおもいます。痛みがあるからこそ、喜びが映えるわけで…。ん?まさかチリソースも甘い味付けを引き立てるためのことなんだろうか…そういう教えがこのソースにはまさか…。(そんなこんなで東南アジア料理に人生を感じる暇人のどうでもいい夏が始まる!)