若者よ、豆腐など砕いてしまえ。

カッという感触がないと書いていても豆腐をなでているみたいなかんじになって、すごく気持ち悪くなるんだよなあ。カッ、瞳孔があくようなかんじ。そういうのがないといやで、そういうのがあればなにもかもOKっていう気分になる。こういう場所でのおちなしやまなしなんのためにこれあるんですか的な文章を書いていると、そういう感触がなくても続いていくからだんだん不安になってきて、不安になると書くのをやめるようにしています。(すでに若干不安です)もうやめたいです。でもこれじゃ記事として足りない!(絶望感)
   
6月になってしまった。という文章から始めようと思ったけれど、少し前に5月に!と思ったばかりだった気もして、そのうち月日の流れしか言わなくなり、もっとすすむと季節のことしか言わなくなり、まるでただの時計のような人間になってしまうんじゃないだろうか。それが老いということなの?(老いに失礼。)不安があったので冒頭にするのはやめました。じめじめと雨雲がやってくる季節で、そうしてそんな時期にはっきりきっぱりした作業ができないと、なにもかもがだめになったような気がして、自信どころか立ち位置も見失ってしまいそうで、本当に怖い。このまえ「それ町」の最新刊が発売になって、ああ、本当に歩鳥とタケルの姉弟はいいなあ。と思った。お菓子を買いに行く話は、ふたりのそれぞれのよさがでつつ、その関係性が現れていて、さりげなくとてもいいなあと。あと静さんが好きなので、あの怖い話の話も好きだった。取り乱す感じとかが新鮮で。いいんだろうかこんなただの感想たれながし日記…。でも、こんな客観性のかけらもない日記を書いていて大丈夫なんだろうかと思うのはきっと、梅雨のせいなんだ。そう考えないとやってられない気分になる。私はいつだってなんとなく自分に物足りなくて、できるかぎり時間を有効利用し続けないと、なんか腐ってくるんじゃないかという気がして、でも一方ですごく体調が崩れやすく、とくに梅雨とか夏には弱いので、ろくに作業が進まなかったりすると本当に、なんか、もう、本当に、ぞっとするんですよね。精神的にタフ過ぎて、それに引きずり回されている感じがする。100年後とかに、「ああもっといろいろやりたいことがー書きたいものがー」って言いながら死ぬ自分を想像していて、うわあ、いやだあ、って思って、だからまたがんばるってかんじで、うーん、なんだこの血走った人格。我ながらそう思う。なんだろうか、悔いなく死ぬなんてありえるのか、ありえないだろ、でもそこに賭けたい!っていう感覚があるんです。たぶんこれ「若さ」ってやつだな。私まだ一応精神は若いんだな。よかった。
   
(もう続きようがないので)おわり!