今日は月がなんだか大きすぎて道路標識みたい。

社会とか世界は、すごく大きくて広い文脈そのものだと思っていて、詩を書くことはそこにボールみたいな言葉を投げて、その文脈に乗せていくようなことだと思っている。景色と同じでどこから見るかでその並びは大きく形を変えていくし、その人がいつも見ている世界の文脈に乗っているから、それぞれがそれぞれ、自分にとって自然なふうに、そしてみんながそれぞれ違う見方をするのは当たり前のことだと思う。小説とかは逆に、特定の位置から見える文脈の景色を、一つの形に切り取って、他の場所からも見えるようにすることのような、そんな気がする。でもそういうのって、なんていうか、POPってそういうことなんじゃないかって、思ったりね。この大きな文脈に接続していくこと。それが、POP。(真面目なトーンでブログを始めるとこのあたりで集中が切れます)
   
『夏果て幸せの果て』を最果てが観て幸せの果て。大森靖子×根本宗子『夏果て幸せの果て』@東京芸術劇場をみました。(以下、ネタバレではないですが、観た後に読んだほうがいいかもしれません)
まず単純に非常に面白くて、「これがあなたの使い捨ての今を幸せにできるだけの演劇」という根本さんの言葉そのものだった。靖子ちゃんの音楽は、聴く人が持っている事情や気持ちや物語に溶け込んで、そしてその中で幸福や力やそれ以外の何かを溢れさせるものだと思っているけれど(それこそ上記の文脈の話に近い)、だからこそ今回、歌の中の物語ではなく、歌の外側にいるみんな、あちこちにいるみんなが持つ、それぞれの物語によりそう歌として、舞台で描かれているのが本当に良かったです。大森さんの歌を舞台にするなら、これしかないだろうな、と心底思った。