最初が最高系

メガクリームフルーツパンケーキは、食べに行こうと出かけた瞬間が一番美味しい。たまごつきのラーメンも多分同じ。ピザは注文した時が、唐揚げは目にした時が、ざるそばは食べ終わった時が一番美味しい。食べ物によっていつがいちばん美味しいかは違っていて、基本的に、食べ終わった時に一番美味しいのが、人として「好物」はなずなんだけれど、でも食べる前、空腹で何食べようって思っているときは、「あー、パンケーキとか食べたい」とか思うんだよね。食べたら別に「ああこんなもんだったな」と思うんだけれど、でも、食べなかったら食べなかったで「パンケーキ食べたい病」は治らないのだよね。なんだよそれ、中毒かよ。たぶんこれは、パンケーキとか何枚でも食べれるOKだった昔の記憶が残っていて、「おいしいはず」と脳が入っているんだろうな。もはや胃もたれするのでよろしくおねがいいたします、My胃。ちなみに食べ終わった瞬間が一番美味しい食べ物を除いてそれ以外は「一口目が一番絶品」となるので、もうどうせだったら、一口サイズレストランとかやって、いろいろつまみたい。幸せを継続させたい。
  
なんの話だ。
でも実際に、こう、やろうと思った瞬間が実はベストであってやってみたらたいして楽しくないってことは多くあって、私にとってインターネットもその部類ですよ。世界は広いと思える、っていうけど、私はそこまでインターネットをうろうろしないというか、ほとんど自分のサイト管理しかしていないこともあって、ネットしたいとおもってiPhone手に取った瞬間に、カタルシスもう手に入れているよね。いつでもネットに触れられるというその余裕こそが欲しくて、インターネットマシンである携帯なんて持ち歩いているんじゃないかと思う。
というわけでゲームとかも大体、やりたいとおもっているときが、一番あのワンダーランドへ!とおもうのだけれど、やってみたらなんか惰性でやってる感がでてくるのはなんでなんだろうね。いや時間つぶしだし娯楽だし、こういうものを惰性でやってどうするの自分…って常に思うけど、基本娯楽というのは簡単に始められるから「やりたいなあ」とも気楽に思えるし、むしろその最初のワクワクって、「私にはすぐに楽しくなれるものがある!すぐにそこへ飛び込める!その権利がある!」みたいなところへのワクワクでって、その「楽しくなれるもの」自体へのワクワクじゃないのかもしれない。大事なのは「すぐに飛び込める」っていう部分かもしれない。いまの退屈から脱するっていうことが大事なのかもしれない。じゃあもうゲームをやると行動した時点で、退屈は満たされちゃうから、そりゃがっかりするかもしれない。めちゃくちゃお腹空いているときに濃ゆいもの、パンケーキとか食べたくなるのも、結局はただ飢餓をなんとかしたいっておもっているからだし、食べれる、ってなった瞬間に冷静に戻るのと一緒かな。欲望って本当に幸福を呼ぶのだろうか、飢餓状態でそれを満たすために何かを求めても、それを手に入れた瞬間にその質にこだわりだすし、貪欲なのかな。でもそれが、普通だよねと思います。人はマイナスを埋めるためだけに行動できないし、やっぱりできるだけプラスでいたい。おなかいっぱいになりたいけど、最後までおいしいものが食べたい。全部楽しみたい、っていう、マイナスを0にするのではなくどこまでもプラスにするぞという感覚があるのは、人間ぽいなと思う。(そしてそのわりに自分がなにを楽しみにしているかちゃんと把握できていなかったり、そのせいで「そこまでじゃなかった」とかがっかりしたりするその、楽しさに対するグラグラな価値観が人間のかわいさなのかもです。)

いや本当になんの話だ。