美しさは、最初からきみの中にある。

私がはじめてカウンセリング化粧品を購入したのは資生堂のカウンターでした。長らく雑誌やらなんやらで得た情報で、アドリブ的化粧を行っていた私にとって、他人にお化粧について相談するというのはこっぱずかしいとしか言えなかったのですが、ふと、興味がわいて、デパートに向かいました。肌の色から目の形、輪郭やまつげの長さ、それらを一つずつ確かめて、あなたのいいところに合うものは、あなたのきれいな部分をみせるものはと、提案されていくことはさらにこっぱずかしいというか、かゆくなるかんじでもあったのですが、でも、それ以上にお化粧とはそういうもの、と当たり前に美容部員さん(カウンターにいて、アドバイスをくださったりお化粧してくださったりする方、基本いいにおいがする)がふるまってくださるのはふしぎと、居心地が良かった。雑誌だとどうしても、流行りのメイクは、とか、コンプレックスを隠すには、とかそういうページが増えていって、つまり化粧とは隠すものであったり被すものであったりする。でも、カウンターにとっては、美容部員さんにとっては、その人に最初からある美しさをぽんと外にだしてあげる、そういうものなんですね。お化粧って身だしなみとかいわれたり、つまりスッピンは汚いものなんかい、っていう人が現れたり、いろいろ、いろいろなんですけれど、でも、なんていうかそもそもお化粧とはその人自身にあるものをきらっと照らしてあげることであって、なんにも隠してないし、フタしてないし、むしろさらけ出していっているし! っていう、それって、なんだかお化粧と暮らしていくひととしては、とてもうれしい発見だったのです。なんてすてきなことなんだろう。きれいなものを身につけることも、お化粧品を買うことも、なんにも悪いことじゃなくて、なんにも後ろめたいことじゃなくて、もっともっと素直になることだったなんて! 知らないのと知っているのでは、全然違う魔法みたいなこと。お化粧をするだけで、現実がすこしだけ、輝いてみえる。日常がすこしだけ、みずみずしくなっていく。そういうのって、知らなくてもいいんだけれど、知っていたらなんだかすごくきもちよくなりますね。生きていくことが。
  
さきほど、資生堂が主催する現代詩花椿賞を、去年出した詩集「死んでしまう系のぼくらに」(リトルモア)が受賞することとなりました。本当に憧れていた賞で、いまでもちょっと信じられておらず(候補になったことも知らなかったので、電話で聞いてびっくりした)、でもでもありがたさ、うれしさでぶるぶると震えています。ああ、いいのかなあ!よろこんじゃっていいのかなあ!ありがとうございます!うれしいです!

昔から言ってきたことではありますが、私、ずっと、レンズのような詩を作りたいと思っていました。読む人がその詩を通じて、その人自身の内側や現実を見つめるような、そんな詩。いつもの景色や自分を少しだけ、変えて見せてくれるような、そんな詩が作りたかったのです。そしてそれはきっと、お化粧が放つ光のようなものにとても近いんじゃないかな、とふと思ったことがあります。既製品の美しさを被せるのではなく、その人の内側から、その人自身の美しさを浮かび上がらせるような、そうしたお化粧にはきっとレンズのように自分を変えます。飾るだけで、見える景色も明るく、もしくは瑞々しく見えていく。それは、私が作りたかった詩の、あり方そのものでした。だからこそ、私はこの賞に憧れるようになりましたし、今回の受賞が本当に嬉しくて仕方がありません。

詩集を読んでくださった方、オススメしてくださった方、書評を書いてくださった方、長年叱咤激励くださった詩人の皆さん、応援してくださった書店さん、それから「死んでしまう系のぼくらに」をともに作ってきてくださったリトルモアのみなさん、デザイナーの佐々木俊さん、帯文をくださった高橋源一郎さん、本当に本当にありがとうございました!!「届く詩集を」と作り始め、いろんな人たちが私一人じゃ絶対に無理な場所まで届けてくれた。本当に夢みたいな一年で、そして、こうして賞をいただくことにもなるなんて、びっくりするほどしあわせです。ありがとうございます!
  
死んでしまう系のぼくらに