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静かなものと雨

言葉の置き方みたいなものには個性があって、雨の音に似ている。トトトトと置く人もいれば、パランパランと置く人もいて、まれにコップに入った雨をそっと置くような人もいる。結果としては文体として現れるのだけど、私はその人が書いたそのときに、鳴っていたであろう音を想像して読むのが好きだ。文体そのものより、どう書かれたのかわかるような呼吸の痕跡が面白く見えて、たとえば「動物」という言葉も、呼吸によってまったく色が違う。親近感のある犬猫をイメージさせる「動物」もあれば、生命体の歴史における「動物」もある。そういうのがおもしろいから、呼吸が強く焼き付いている文章が好き。なんていうと、文脈における言葉の並び方によってかわるのでは? みたいなふうに聞こえるかもしれないけれど、でも、同じことを書いても、たとえば「今日、動物園に行った」ということを書くだけでも、人によって違う気がする。言葉の並べ方、それからその人が書くスピードによっても違うのだろう。なんでか知らないけれど、(たぶん書く作業をずっとしているからだろうけれど)、結果として現れたもはや動かない「文体」という完成形よりも、そこから逆算で見えてくる呼吸だとかスピードについて思いを馳せる。それが書かれたその瞬間の「痕跡」。で、一方でその呼吸をすべて海の底に沈めたような言葉もあって、静寂ほど強いものはない、と思うこともある。なんというか、人類が生まれる前からそこにあったような。そんな。
言葉ではないけれど、萩尾望都先生の原画を見たときはそんなかんじがした。最初からそこにあったような、その紙がこの世に生まれた時から、いや、その材料となった幹が育つ前から、そこにあったような線だった。なるほど、仏像を掘るひとが最初からそこにあるものを掘り出す作業だというのは本当なんだな、とそのとき思った。
   
(世界というのは情報過多であって、もちろんそれを掘り出すというか、明らかにしていく、という作業はだれだってしていることなのだけれど、けれど、その中で一切の振動もせずにじっとそこにある「なにか」というものがあり、それを掘り出した時、たぶん静けさが生まれる。)