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人間には情報が少ない。

いい人だと思われたいなら、こんな仕事はしないよね。観察とはいつだって性格が悪いし、創造というのも性格が悪い。ある程度、みんなが嫌いじゃないとやっていけないものだと思う。そういえば、似顔絵っていい人にはできない、っていうんだっけ。物語を作る時もやっぱりそれに似ていて、人を観察するし、不幸や幸福を想像する。そうしてだからこそ、そこには魅力があるんだろう。みんな性格悪くなりたい。それで許されるならそうなりたいのかもしれなかった。でも私は性善説を推しています。
ビーナスビーナス。
   
そもそも性格悪いっていうのがどういうことか学生の頃からぴんとこなくて、女の子が「あの子性格悪い」っていうとき、その子は本当に、本質的に生まれ持って、悪い方向に持っていくという性質を持っているのか、それとも他人を不快にするのが快感であるとか、欲望が抑えられないとか、そういうただただ後発的で、きっと裏で後悔とかしている系のものなのか、よくわかんないよな、と思っていた。後者であるなら、性格が悪いというのは一瞬のことだし、それは性格が悪いとは言えないのでは? たとえば水の入ったガラスのコップを、ひっくりかえしたくてたまらなくなるような、そういう衝動はわかるとして、性格悪いっていうのは、それ以上のもの、常にオールタイム、ガラスのコップを叩き割りたいっていう人のことのはずで、そういう人っているっけ? 会ったことはない。だいたいみんな欲望があって、そして喜びがあって、悲しみがあって、入り混じって立っている。それ以上でもそれ以下でもなくて、私はだから他人のことはどうだってよかった。迷惑だなと思う瞬間や、うれしいなとか、ありがたいなとか、むかつくなとかそういう瞬間はあっても、でもそれが人そのものに結びつくことはないというか、あんまりにまだらに情報が混在して、時間によっても変容するし、人に一つの形容詞をつけるのって難しい。っていうか意味がない。人間なんて、一つの曲よりもずっと、情報が少ないと思う。接する一瞬だけを、切り取ったのなら。
   
話は変わるけれど、みなさんは言葉に対してどういう形容詞をまずは思いますか。私は文章を読んでまず思うのは「速い・遅い」で、次に「近い・遠い」、それから「凸凹・平坦」です。ってこういう話をして伝わるのかな。感覚を感覚のまま、感覚的に語ることは難しい。けれどとにかく私は文章を読んだ後は「あ、これ速いな」と思って、「しかも近いなあ…」としみじみし、「さらに凸凹じゃないか!」とかみしめます。書いてある内容はそれから考えます。こういう人間なので、どうしても言葉は音という感覚が強く、ときどき打ち合わせとかで、話す音ばかり聞いて、意味をうっかり頭からこぼすようなそんな瞬間があり、自分が人間として不出来なようなそんな気がしてしまいますね。別にそれでもいいんですけどね。意味をとるために文章を読むのは非常に苦手です。